誰しも未来を視てその未来を現実にする力がある

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空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です。

今回は、ちょっと不思議な話のようなタイトルですが、ですが、これはほんとあるな、と思っていて。

それを具体的に説明できるあるエピソードが見つかったので、ちょっと書いてみます。

 

今朝のこと。

私は、緑茶とほうじ茶を家に置いているのですが、今日はどちらを飲む気分だろうか、と考えていました。

それで、イメージします。緑茶を飲んでいる自分と、ほうじ茶を飲んでいる自分・・・そしてそれを飲みながら仕事をしている自分・・・

どっちの方がより、自分にとって、合う感覚か、今日の気分の仕事に合う感覚だろうか・・・と。

それで、今日は緑茶で、と決めて、飲んでみた。まさに今日の自分の仕事に合う、という感じがして・・・そのあとこういうお線香もたいて、香りも含めて活かしていこうか・・・とまで考えるのですが・・・

 

でもそこまでやってみて、はっとします。

これって、未来を視て、その未来を今にしている、現実化している、ということなのでは?と。

 

例えば、今日のお昼何食べようかな、となったとき。

今日は何を食べたい気分かな?と考えますよね。パスタにしようかラーメンにしようか、いくつか選択肢が出てきて迷うとする・・・それで、イメージしませんか?

パスタを食べている自分と・・・ラーメンを食べている自分・・・

どっちの方が自分の口に合うかな・・・・と。

 

誰かの意見だったり環境や値段とかに引っ張られたりすると、ああやっぱりあっちの方が、となったりしますが、自分の感覚を研ぎ澄まして、考えて、それにして食べたとき・・・ああやっぱりこれこれ、これが食べたかったんだよね・・・!!

 

というどんぴしゃな感覚になったりしますよね。

でも、それってまだ、「食べてない」状態から、それをしているんです。

 

食べてないのに、味わってないのに、自分の口に合うものが、わかる。

それって未来を視ていることと同じではないか、と。

 

あまりに直近だし、普段からやっていることだから、気にもとめていなかったけれども、これは、未来を視たり、時は未来から過去に流れる、という、私の先生である竹川さんの説を証明するあるひとつのエピソードなのではないかなと感じました。

 

そういうふうに考えてみると

自分自身の叶えたい夢だったり未来も、今日のお昼ご飯というよりも先の未来なだけであって、同じように、具体的にイメージして、どうしようかな、どういうふうにすれば自分に合うかな、とか、口に合うかな、みたいな感じで考えていくと、じゃあどうすればいいか、というのが見えてきます。

多くの場合は具体的に考えることができていないがために、夢を叶えることができていないだけなのですね。

 

例えば引っ越ししたいなあ~となっても、引っ越しする家をどこにするか、というのを探したりしないうちに、じゃあ引越ししよう!その覚悟を決めよう!となっても、いやいやいや、明日から野宿する気?という自分のキャラが出てきて、やめようよ!というのに引っ張られて、結局なあなあになってしまいます。

あと、お金ないよ!!どうするの??とかですね。

でも、現実的にいくらかかるのか、予算の範囲内で出来るやり方はないのか、とか、そういうところを考えてみると、意外といける方法があることに気付いたり。

 

そうすると、あれ?もしかしてできてしまう・・・?!

と考え始めると、どんどん気持ちが、そっちの方に向いていく。自然と体も動けるような状態になっていく。漠然としすぎているときに、人は不安を感じ、行動するのをためらいます。

勇気がないからとか、覚悟が決まらない自分がダメだとかではないのですね。

 

もしくは、それでも現状を無視して、無理をして行こうとすると、漠然としたままでも行けちゃう方法に手を出してしまったりする。(それは例えば宝くじみたいな一攫千金的なもの)

でもそういうものはない、それはいきなり目的地に飛べるワープと同じくらい、「現実世界」では無理なやり方だったりします。無理なやり方には、必ず大きなリスクがつきまとってしまう。「ワープするやり方を発明したので人体実験してもらえませんか?」と言われてやります!と伝えるくらいな感じのリスクですね。

それで成功することもあるかもしれないけれども、体がバラバラになったり、過去に飛ばされたり、宇宙に飛ばされたりするリスクもあってそれでも試すかどうか、という感じです。

 

私もワープにはとても興味がありますが、怖いのでそれはちょっと嫌なので、試しません。。。

ということになるのですが、そういう感覚だなあと想います。

 

谷を受け止めることが、希望の未来に繋がる

竹川さんが面白い事を言っていて「欲」というのは、谷を欠く、と書くのだということ。

だから、どん底のときとか、ネガティブなこととか、見たくないし、直視するとひいいいとなるので、避けがちなのだけれども、でも、それを避けようとするとき、谷を欠くとき、欲が出るのだと。

 

それは、確かにそうだなあと、上記のような話がまさにそうだと想いました。

具体的に引っ越したい場所に引っ越すには?と考えるには、現状の自分の予算とかを把握する、見たくないかもしれないけれども自分の収支を見ることが必要になってくる・・・

そこで、いやもう見たくないので!と谷を欠くと、具体的なアイディアが浮かばないので、「宝くじ当たればいいのに~」という発想になってきて、欲、という方向に行く。

逆に、収支を見ると、谷を受け止める、谷を取り入れるような感じですね。そうすると、こういう感じでやるのか、と具体的なアイディアが生まれてきて、それにあう物件はないか、と探すことができるようになって、引っ越すことができる、という感じですね。

 

私も、自分自身が変わってきた竹川さんの未来型の考え方を反映したような、理想の場所をオンラインだけではなく現実に作りたい、となって町家カフェで!

という構想が出てそれを京都の哲学の道のあたりで・・・と考えたときに、1億円。という数字が出てきて、いや、絶対無理!!となったのがスタートでした。

竹川さんでも借金2000万だったのに、1億円とかを借りてやるの・・?絶対無理だ・・・という感じでした。

 

でも、今すぐは無理だけど、もしも、今から何かできるとしたら・・・?

今から出来ないか・・・となって、生まれたのが未来型夢の降るみちです。それをまずはオンラインでやっていこう!というところで作る、というアイディアが生まれたり、さらに、1億円という目標はまだなのですが、そういうアンテナを張っていたら、今自分が住んでいる場所よりも広いところで、なおかつ家賃が低いところで、引っ越したいと思っていた地域に、町家のレンタルの物件が出てきたのです・・・!!

 

人気物件だったようなのですが、ご縁があってそこに住むことができました。

そうすることで、町家のメリットもデメリットも見ることができたりとか(やはり古い家は隙間が多いのでGが良く出るとか・・・)そういうことが起こるようになっていきました。

さらに、自分の行きつけの川のあたりに、とても田舎なので、今からでも買うだけはできる(ただ補修費用はけっこうかかる)というような物件も見つかったりとか、じゃあその物件を改装するならどんなお店にするか?

そのお店をまさに体現しているような素敵なカフェと出会ったり・・・

 

そしてそこでカフェをやれるメンバーさんとも、夢の降るみちを通して出会うことができるようになりました。

というような感じで、絶対無理!!と思ったものであっても、着実に進んでいくのをすごく実感しています。

 

だからこそ、谷を欠くときは欲になるけれど、谷を受け止めることで、具体的な道のりを考える方向性がはじまっていって、夢叶っていく。

お腹がすいて、食べ物を想像するときも、お腹がすいたという自分を受け止めるところからスタートだからこそ、どんなものを食べたいか、それを食べてまさにこれが食べたかった!という未来の自分を今にすることができる。

 

ぜひ、谷とともに、未来を見て(妄想して)、今にしていってくださいね。

 

お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

千聖

 

 








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