心を開くということ ~負のスパイラルから抜け出すために必要だったこと

千聖です。最近、「心を開く」というのがテーマになっています。

 

心を開いてないとどうなるか、

誰かに褒められてもいやそんな、となって受け取れなかったり、下心があるのでは?

裏があるのでは?

本当の私を知らないからでは?と思ってしまう。

 

好意を寄せる人に好きですと伝えて両想いになる幸せよりも嫌われる恐怖が先に立ち

こちらから嫌いにいってしまう。

 

これらは、過去の私です。

過去の私が、人間関係も仕事もうまく行かなくて、うまくいかなかった会社から逃げて、インターネットの世界、ブログの世界にやってきても

 

また同じところで躓いていました。

エゴばかりの醜い自分を見せてしまったら、嫌われるのではないかと、当たり障りのない言葉ばかりを、ブログに発信してしまい。

 

そのときはお客さんは来られませんでした。

 

 

私の先生になってくれた、山籠り仙人、竹川さんが、

 

ありのままで伝えること、

それこそがまごころであること。

まごころこめたおもてなしですよと、それが一番喜ばれるからと

 

そんなふうに言って下さったのに、私はそれを素直に受け取ることができませんでした。

 

 

じゃあどういうのが心を開く、という状態なのか。

それは、相手のことを信じることから、始まるのではないかなと、想うのです。

 

よくわからない、こんな自分に価値なんてあるわけないし、自分になんでできるわけないと思う。

 

でも、この人がこんなふうに言ってくれるなら、それでも信じてみようかなと、信じること。

 

 

だけど、信じることは無防備になることで、もしその人が詐欺師のような人だったら?

 

信じた分だけ裏切られる恐怖があって、信じている気持ちが深い分、裏切られたら絶望も深くなる。

 

だから、裏切られてもいいように、常に一線を引いて、ちょっとでも嫌われそうになったなら、亀みたいにぴょっと頭をこうらの中に入れて、閉じこもる準備は万端。

心を閉じる。

 

それは、深く傷つかない代わりに、常に、誰かを疑って生きるということでもありました。

 

それは、生きづらいですよね。

疲れますよね。

 

この世界の真理は、自分が相手に届けたものが、自分にまた返ってくる仕組みのようなそんな感覚があります。

お金が、お仕事の対価のように。

 

人を疑えば人に疑われる。

ほんとうはそうじゃなかったとしても、自分が疑っているから、そういうふうに言われている気がしてくる。

 

人を信じてないから

そんなふうに人を信じられない自分もまた、信じられなくなる。

 

 

だから、裏切られる恐怖や、信じたことでバカを見ることが未来にあったとしても、結果もわからなくても、何にもならなかったとしても。

 

それでも信じ続ける勇気こそが、真に自分自身を奮い立たせてくれる、力になって自分にもかえってくる。

 

先に信じる。

先に好きだと伝える。

先に想いを届ける。

 

嫌われても傷ついても

 

だけどその姿勢は、

裏切る人よりも、ずっとずっと美しい。

 

傷ついても傷ついてもそれでも人を信じ続ける

その強さに人は心動かされて、だから本当の仲間や場ができていくのだと、想うのです。

 

だからブログでもお仕事になっていく。

 

それが心を開くということ。

 

傷つくことは本当に怖い。

好きな人だからこそ、嫌われるのは、立ち直れなくなるくらい怖い。

 

だけど、それでも、信じ続けられるようなそんな自分の方が、誇らしい。

 

 

だから、心を開くことは怖いけど、怖くないと、お伝えしたいなと想います。

 

次に進みたいけれど、どうしても負のスパイラルに入ってしまう、なかなか抜け出せない・・・!!

そんな時に、このお話を想い出していただけたら、嬉しいです。

 

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

 

 

 








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