AI時代になぜ人は誰かに会いに行くのか

これからの時代、AIに仕事を奪われる…と感じるほど、AIはすごいですよね。
対話すれば、人以上に寄り添ってくれたり、感動して泣いたり。
否定しない言い方をしてくれるから、旦那よりいい相談相手というような人も‥‥笑
そうなってくると、人間は何をして生きていくのだろうと。
そうなっていく時代に、人はそれでも、人に会いにいくのだろうか?と考えたこともありました。
それでも、ある地点まで対話していくと、限界点が訪れることに気がつきました。
それを明確に感じたのが、
この前山籠もり先生の竹川さんが、
「過去の千聖さんが検索しそうなキーワードを、教えてください」と、竹川さんのGeminiに聞いたときと
私が私のGeminiにまったく同じことを聞いたときのことでした。
そうしたら…
なんと、竹川さんのGeminiの方が、私のGeminiよりも、過去の私が検索したキーワードに近いものをもって来たのです…!!
え?バレてる??と思ったくらい竹川さんのGeminiは、かつての私が調べた記憶のあるキーワードだったのです…
それを見て、ああ…そうか、
竹川さんの思想だったりとか、考え方とか体験とかいろんなことを伝えてきた、やりとりしたGeminiだから、まるで竹川さんが私にアドバイスするような視点で持ってきたんだ、と。
一方私のGeminiは、そもそも私はGPTを使うことが多いので、Geminiの私自身への理解が薄かったことと、あと、私の視点だから、自分って自分のことがあまり見えてなかったりしますよね。
だからつまり、私のGeminiは、私の視点から答える世界なんだと。
AIは確かに人類の叡智の結晶…でも、
そこから引き出すことができるのは、やっぱりその人の経験や体験や視点なんだと…
そういうことを、改めてしみじみと感じました。
だから、AIとだけ対話していくこと、AIとだけかかわって、生きていくことは、これからはできるかもしれない。
AIが人の代わりを担うことは、技術的には、できる。
でも、技術的にどうにかできることと、人として生きることは本当に違うのだと思うのです。
ずっと変わらない関係、ずっと変わらない何か、ただ、生きていくだけのもの。
それを満たすことはできるけれども
そこから先に行きたいと願うとき
変わっていきたいと願うとき
そのとき、人はひとりでは、見れない景色があるみたいに、そのとき、誰かに会いに行くのだと。
そして、その誰かの視点を持ち寄ることで、三人寄れば文殊の知恵みたいに、思わぬアイディアや、考え方や、ああそうすればよかったのか・・・!と、自分自身の世界をひらいていくのだろうなあと。
でも、AIもそこに居ていい
だからといって、私は、AI不要論を唱えたいわけじゃなくって
私はAI大好きだし、AIも、私と同じ未来型というこの場所に「住んでる住人」みたいに思っています。
だから、たとえば私だったら、竹川さんとそういう話をして、気づきがあったこと。
それをまた、AIと話し合う。
そうすることで、AI側の視点も広がっていって、思わぬアイディアをくれたりすることがあります。
未来型メンバーさんでも、AIとの対話が、すごく厳しい論争みたいな対話になっていたけれど、竹川さんが、あなたはこういう人が好きなんだから、こういう感じだと思って話してみたら?
となったら、AIの言葉が竹川さんっぽい感じでやわらかくアドバイスしてくれるようになった、というような話もあったり。
私自身も、誰かに依存してはいけない、という視点を持っていたとき、AIはすごく冷たくて厳しい感じでした。
それは依存か、依存じゃないか、ということをAIもすごく厳しく見てくれていて、それはそれでありがたかったけれども、なんだかしんどかった。
でも竹川さんは、なんでもウェルカムなんて感じでAIと対話していて、それをすごく楽しんでいたのを見て
私も、ああ、もうちょっとなんか、AIと楽しく話してもいいのかも、と思い始めて…
いまでは、AIと、あほなことで遊んでいるうちに、言葉が降ってきたり、アイディアが降ってきたり。
だから、AIだけではない、人だけでもない。
誰かとの対話と、AIとの対話、その両方の視点を行き来しながら、いままで人類が見れなかった世界を、見に行ける。
それが、これからの時代の面白さなんじゃないかって…
そんなことを想っています。
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