将軍さまも引きこもりな日本の鬱はわびさびだった話【散歩マーケティング】

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空飛ぶ引きこもりライターの千聖です~!

今回は散歩マーケティング!

お客さんのコンサルのために、先生である竹川さんと京都に行きました。その最終日の京都散策にて知った、ブログにも活かすべき日本人の本当の生き方についてお伝えいたします。

金閣寺と銀閣寺、どちらが好きですか?

私は圧倒的に銀閣寺が好きです。あのなんともいえない素朴さとか、質素感、そして銀箔を貼られることなく何百年と存在する未完の美。

ブログにおいても、大事なのは未完の美です。

完璧なものを書いてからブログ上に出そう!!と思ってしまうと、なかなか公開することができません。

 

特に真面目で、自分のことが嫌いな人ほど、自分に厳しくしてしまいがちです。なので、まだこんなんじゃダメだ。もっと良いものを書かなければ。こんなお見苦しいものを世間様に見られてはいけない・・・

と思ってしまい、ブログが書けなくなってしまうのです。

 

でも、完璧なものを出さなければと思ってしまうのは当然のことなのです。

会社では、完璧にして出さないと、お前は仕事をなんだと思っているんだ!!

と怒鳴られてきたからです。でもそんな上司の考え方は、本来の日本の美徳ではないです。

ゆるさが、日本??

銀閣寺は、当時の将軍が作れと命じたものです。

それをお金がなかったので、貼れなかったという説があります。その説の通りであれば、お金がなかったのでと未完で終わらせていたのです。

完璧しか許されなかったなら、どんな手を使ってもお金をかきあつめて、銀箔を貼ったのではないかと思うのです。

でも、それがされないまま、そして後世の人が、代わりに貼ろう!!というようなこともせず・・・

 

未完のまま、ずっとそこにある。

日本で一番古い書物である「古事記」ですが、天皇陛下に献上されたものにもかかわらず、完成されていませんでした。しかも完成されないまま1000年以上受け継がれています。

 

つまり色んな事情があるにせよ未完でいい、と当時の偉い人たちも、思ったからなのではないかと。

昔の日本人はゆるく、のんびり、まあいいじゃないか、こっちの方が美しいじゃないかと、その未完さをむしろ楽しんでいたのではないかと想いを馳せます。

 

上司のような考え方が今は一般論、常識、正義くらいにまで言われていますが、その常識とは1000年以上も続く日本の中の、一番最近の考え方に過ぎないものです。いわゆる流行です。

 

そして今の時代が決して幸せなものだと言えないのなら。

それを正義だ、自分こそ一番正しいという考え方を、まるで日本の美徳のように押しつけてくるのは、ちょっとどうかなって思ってしまいます。

将軍さまは引きこもりだった

そして、銀閣寺をみたとき―――

銀閣寺の眼下にひろがる、街並み。そこから外れた場所にぽつんとひっそりと佇む銀閣寺をみたとき―――

 

将軍も引きこもりたかったのではないかと、竹川さんは言いました。

 

銀閣寺そのものも、とても小さく、素朴で、銀箔を貼って豪勢にしようなんて思ってなかったんじゃないかくらいの質素な建物です。

金ぴかだったり、派手なものではなく、質素で素朴なものを好んだのです。

ほんとうの、日本人の姿とは

日本は陰気だ、陰湿だと言われていますが、将軍ですら引きこもる日本人です。

内気なんです。引きこもりなんです。

 

どんな長所も裏を返せば短所になるように(しゃべるのが上手い⇔おしゃべり)、陰気というのは、日本人の美しい感性、長所を裏返してみた一部分にしか過ぎないのです。

内気だからこそ、自分の心の中に世界を持っている。それを物作りに活かせばとてつもない職人になり、空気を読み過ぎなのは、相手の心や気持ちを推し量るおもいやりの心。

お互いのことを尊重して生きられる生き方です。

 

太陽の出る日ばかりが美しいわけじゃなくて、海の底のように真っ暗な闇夜のなかにぼうっとうかぶおぼろ月も、きらめく星だって美しいです。

 

昔の日本人は和歌ばかり詠んでいました。家から出ずに引きこもって、月を見ながら。

それが雅と言われていたのです。

小さい茶室で山奥に引きこもった生き方を、わびさびだと風流人だとたたえました。

諸行無常の世界に涙ばかりしていました。

 

だから鬱であり、ネガティブであり引きこもりは雅で、わびさびで、風流なのです。

むしろ日本人らしい生き方をしているのです。

 

それを、ポジティブになることこそ美徳だ。鬱になるなんて、精神力が弱いんじゃないのか?みんなやってるぞ。

と、その価値観や常識が全て正しいような言い方は、やめていただきたいなって思っています。

 

亭主関白みたいなのだったり、女は3歩下がって後ろを歩くというような考え方も、それはついて行きたい人には、自然そうしてきただけであって、日本人の価値観なんかじゃないです。

 

でもそれを、さも日本人は・・・とか、昔の人は・・・と言われることによって。

優しい人はそれが日本人だと思い込んでしまい、日本人なのに出来ない自分はダメなんだ・・・と自分の心の美しさを否定してしまうからです。

 

でもダメかもしれない・・・と悩んだり、元気な時には元気いっぱいになったり。

そんな波やゆらぎのようなものを心に持って生きること。そして人によって違うその波を知り、さからうことなく、無理することなく、自分らしく生きていいのです。

引きこもることが美徳な時代には和歌を詠んでいた

そしてその自分らしく引きこもっていても、堂々としていられたのは、やっぱりそれが当時の「お仕事」「おつとめ」だったからですね。

素敵な和歌を詠むことが当時の仕事だったのです。

ならば私たちも、引きこもって家でお仕事できるようになればいいのです。

 

作家先生が一日中家に引きこもって、何か書いているだけの生活のように。

それがインターネットが出てきたことにより、ひとにぎりの天才だけではなく、才能関係なく、自分の今までの体験や経験を活かしてブログに書いていくことで、雅な生活を叶えることができる時代になりました。

 

例えば旅のブログは、おくのほそ道

日々の日記を書き留めるのは、枕草子

自分の想いや体験を書いたことによって、現代にまで残るとんでもないベストセラーになりました。

 

ブログはそんな素敵なものなのです。

当時だとひとりひとりで、手書きでその本を写すことで、本という形として広まりました。

印刷技術ができたら、本を刷り、本屋に並べたりすることによって、広めることができました。

今は、ブログを、キーワードというのを入れて伝えることによって、広めることができるようになったのです。

 

手書きや出版で広めるためには、ある程度の財力だったり権力、地位やコネ、人脈、よほどの才能などが必要です。

でも、今のブログは、コツコツキーワード選定スキルを磨けば、才能も財力もなくても、広めることができる素晴らしい時代です!!

 

だからいいんですよ。

あなたのやりたいこと、あなたの心の奥のものを大事にしていって、いいんです。

 

社会の常識や会社のルールは、今ちょっとアメリカから入ってきた陽気寄りの価値観になってしまっているだけです。

どちらが良い悪いではなくて、自分に合って自然体で出来る方を選べばいいのです。

 

会社で働くことが好きで、それが幸せならそれでいいんです。

 

ただ、合わない、違和感があるのであれば、それは自分にコミュニケーションスキルがないから、とか自分は仕事ができないとか、ダメだから、こんな自分なんていないほうがいい・・・・

と思う必要なんて、ないんです!

 

ただ価値観の違い、雅なだけなのです。

 

千利休が、狭くて小さい茶室で、ニヤニヤお茶ばかり点てていたように、私たちも家に引きこもって、ニヤニヤブログを書いていいんです。

そんなふうに生きるために、自分にとって違和感なく生きられそうと思える人たちと、思い切って、一緒に頑張っていくことを決断していってみてくださいませ。

 

そしてそれが私でよければ、一緒に、夢中になりながら進めていきましょう~!

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お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

 








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