自分を大事にしながら相手も大事にすることが出来る課題の分離とは

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空飛ぶ引きこもりライターの千聖です!!

 

この記事では、竹川さんの奥さん(武川先生)のセミナーに行ってきた時に、気付いたことをお伝えしていきたいと思います。

 

竹川さんの奥さんは、病院で終末医療を受けている人のパストラルケア(カウンセリングの一種)をされていた経験もある方です。

そんな武川先生が行って下さったのは価値観ミエルカセミナーというもので、自分が持っている本当の価値観、軸を探すためのものでした。

 

そのセミナーで、価値観が、その人の行動・感情などの源になっていることを知ったのです。

人は、それぞれが持っている価値観に基づいて行動している。だから、同じ状況が起こっても、選択する行動が人それぞれ変わる、価値観によりけりなのだと知りました。

 

そこで見つけた私の、8つの価値観のうちの1つに、「自由意志」というものがありました。この私にとっての定義は、「人から押し付けられたものではなく、自分が想ったことを好きなようにやる」というものです。

上から2番目に重要と定義されたその価値観を見て、・・・私はなぜだかボロボロ泣いてしまったのでした。

 

その価値観は、今はおかげさまで、竹川さんや一緒に頑張る仲間、お客さんにも、大事にして頂いている価値観ですが、長年ずっと封印してきたものでもあったのです。

封印していた価値観、「自由意志」

夢は諦めろ、好きなことをやりたいなんて、甘えたことを言うな。

正社員は安泰だからそれにしろ。

家を継ぐために地元の男と結婚しろ。

女はこうあるべき・・・・。

 

そして社会人になってからは、

会社から命令される、自分の意思とは真逆にも等しいことを・・・・。

自分だけやるならまだしも、それを現場の人に、一生懸命、まじめにお客さんのことを考えて働く優しい人たちを苦しめるような指導をする立場・・・。

さらにその現場からの怒りの声に対して、自分も、社長や上司にぶつけてやりたいのに、現場のことを何も知らない社長たちのことをかばって発言しなければならないこと・・・。

 

 

そんな環境が嫌で、地元も出て、会社にも退職届を出して放り出してきました。

 

そんな環境なんていやだ!!と自分の意思を貫きながらも、

私の心の中には

「自分の意思ばかり尊重してわがままを言って、正社員として親や祖父を安心させてあげられない」

親不孝な自分がいる、そんな自分から目を背けてきました。

 

今のこのブログでの生活、そして先生や仲間や、お客さんとの幸せな生活を後悔したことは一度もないのです。

でもただ、その親不孝な自分に自分に対する、ある意味・・・罪悪感みたいなものが、ずっと心の奥でくすぶっていたのです。

 

だから実家に帰り、その罪悪感のある部分を指摘されるようなこと・・

「実家に帰るのが常識だろうが、家を継ぐことが孝行なのに、いつまで東京の方にいるつもりだ」みたいなことを言われると、すごく怒ったり、苛立ったりしていたのかなって。

 

そんな色んな感情に気付いて、・・・でもそれと同時に、正しいも悪いもなく、ただこれでいいんだと、思えたのです。

俺も我慢できたのだからお前も我慢できる・・・?

同じような状況におかれても耐えられる人と、耐えられない人がいるのは、とても自然なことでした。

なぜなら価値観とは、その人の行動・感情のもととなるものだったからです。

 

〇だから、その人にとって重要な価値観が「安泰」であれば、正社員として働くことが、「一般的に見れば」安泰である

⇒だから正社員として働くことを選択することに、きつい、つらいという感情は同じようにあれども、それを耐えることが美徳、という父や祖父の感情・行動になる。

 

一方で

 

〇私が大事にしているのは「安泰」ではなく、「自由意志」とか「素直」みたいな、「自分らしく」みたいなものでした。

⇒なので自分らしく生活することや自分が想うことを、自分に嘘をつくことなく、正直にやれることを、とても大事に思っています。

だからこそ、一般的に安泰な正社員も、親不孝だと言われても、好きなことを仕事にしよう、好きな場所に住もう、ということになったのかなと思いました。

 

そしてその価値観に、良いも悪いもなく。

ただ、その人それぞれに大事にしているものの違いだったのです。

 

そして人というのは、その価値観に沿って行動出来たときに、幸せを感じる生き物なのだと。

だから世間や誰かが何かを言っても、自分はそうじゃなく、大事にしたいもの、価値観を大事にしていっていいんですよ。

という話をきいて・・・。

 

なんだかその罪悪感みたいなのが、いっきにひらけて、ゆるされた気持ちに、なったのでした。

自分自身をゆるすことができなければ人をゆるすこともできなかった

罪悪感を持っている限り、私はきっと祖父や父の「安泰」というような価値観を認めることが出来ないままだったと思います。

罪悪感は、「自由意志」という自分の価値観に対しての否定です。それを持っているから祖父や父と上手くいかなかったんだと、その価値観を否定していることになっているのだと思います。

 

だからこそ、「安泰」という価値観を自由に振りかざす祖父や父に対して、すごく苛立ってしまう。そうやって振りかざすなら、私の「自由意志」も認めてよ!!なんで認めてくれないの!頑固おやじ!!!という感じで爆発します。

 

前向きな犠牲はいいけれど、罪悪感から来る犠牲は、どうして私ばっかり・・・こんなにしてあげているのに・・・みたいな気持ちを生むのだそうです。

だから罪悪感からの行動は、ただのエゴになるのだと。

 

だから・・・罪悪感じゃなくて、ただ大事にしたいものが違っただけ。「自由意志」をまずは自分が大事にすることが出来たら。

そうしたら、もう、怒る必要も苛立つ必要もないのかなと・・・

 

〇私は「自由意志」を大事にしています。

⇒だから私は地元には帰らずに、ここで一生懸命やっています。そしてそれを、おかげさまで色んな人との出会いで、叶えることができています。

 

〇祖父や父は「安泰」を大事にしています。

⇒だから、家を継げとか、地元に帰ってこいとかも、安泰のために毎日をコツコツしているだけ。

私がブログでコツコツしたみたいに、祖父や父にとってのコツコツの方向性が私とは違うだけ。

そしてその「安泰」を叶える、というのは、私の問題ではなくて、祖父や父の問題なのであると思ったのです。

 

「私が実家に帰る」というのは、数ある、「安泰」を叶えるための手段の1つ。

私がいないことで、身体的に誰が介護するのかというような不安があるのなら。それを私が何か手助けするなら、「実家に帰る」だけが方法じゃないなって。

 

同じように正社員で生きることも、数ある「安泰」の中の手段の1つであって、「会社員で居て欲しい」ということではないのかな。とか。

それはブログも同じように「安泰」ということを、どうせわかってくれないんでしょという感情で、膝を突き合わして説明することから逃げてきた私の問題。

 

そんなふうに、相手の課題と自分の課題を分離して考える(アドラー心理学でいう課題の分離)ことで、自分の考えも大事にしながら、相手の考え、価値観も大事にしていくことが出来るのだと、分かったのです。

 

もちろん、苛立ちを今すぐなくせるわけじゃないと思いますが、そうやってひとつひとつ、自分の中の罪悪感や、こんな自分ダメだって思っていることと向き合って、それが良い悪いじゃなくて。

 

まずは自分が、どう想っているかを知り、自分を大事にする。

ということがすごく、自分の幸せにとっても、そして、まわりの人との幸せにとってもいいのかなって思いました。

 

そんな、私の中でとても大きな・・・とても大事なものに気付くことが出来た1日でした。

セミナーをしていただいた武川先生、紹介してくださった竹川さん、素敵な時間を、ありがとうございました。

 

このセミナーに興味がある方はこちらに詳細ページがあります。

今年の分は終わってしまったそうなのですが、興味がある方はお問い合わせされるといいかと思います~!

 

お読みいただきまして、ありがとうございました。








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