神楽から学んだ覚悟を決めるのが怖い時は丸く自然体にの感覚が大事だった話 ~東京引きこもり④

千聖です!今回は、東京コンサルでの気づき連載vol4です!

山籠もり合宿が行われた次の日、この日は、夢の降るみちメンバーさんとの、山の上交流会の予定でしたが、その前の朝の時間帯に、ちょうど、年に数回の神楽が一般公開されるということで、コンサル生さんと一緒に見にゆきました。

ここでちょっと迷ったことがあって、神楽を見るというのは、予定になかったことで、コンサルには直接的には関係ない時間・・・

そこに時間を割いていいの?もっと他にやることあるんじゃない?

という心の声が聞こえたのですが・・・

 

でも、こういうときは、今までの経験上、その時のご縁とかタイミングとかがばちっとはまるものは、大事にした方がいいというのがありました。

しかも、あとから集合予定だった、探検家タガメのリョウさんが、その神楽にちょうど間に合う時間に山の上に到着されて・・・!!!

せっかくの機会なので、見に行くことになりました。

 

結果的に、すごく大事な気づきがあったので、お伝えします。

そこでの気づきとは

神楽は、神様に楽しんでいただくのが目的で舞うもののようで、私の出身地、宮崎にも、有名な神楽があったりします。

当時歴史とかに興味がなかった私は、そうなんだ~くらいで、確か1度くらいは見たような気がするのですが、あまり感慨深さもなく、他の伝統芸能、能とかも友人が誘ってくれて見に行ったのですが、その時は寝てしまい・・・汗

 

ですが今回は、鬼滅の刃の影響で、まず神楽というものは、もしかしたら、何かを後世に受け継ぐためにあるのではないか、という視点が加わったことが、神楽に対して興味をもった理由でもありました。

鬼滅の刃のヒノカミ神楽は、無惨を倒すための最強の動きが受け継がれていたものが神楽になっていたように・・・

また、日本昔話のように、何かお話として語り継がれているものは、そこに、後世に伝えたい訓戒みたいなのが込められていたりとか・・・

 

歌とかもそうですよね。

「ねんねんころりよ~♪」のこもり歌とかも、歌詞はいつの時代なんだろう?というくらいですが、それは実際のところ、こもり歌として効果があるから、歌い継がれていたり・・・

 

何かを語り継ぎたいものが、そこにある、あるいは、何か大事にされていたりとか語り継ぎたいと思わせる何かがそこにある・・・というような。

 

 

だから、この神楽は、どんなことを伝えたいんだろう。

そんなことを考えながら見ていたのです。

 

それで内容は、君の名は。の主人公、三葉とその妹四葉が舞っていたような、鈴を鳴らすような巫女舞だったりとか、あと、鬼滅の刃のヒノカミ神楽のような、きれのある動きのような舞いもあったりして、迫力もありつつ・・・

その中で、私が一番心に残ったのが、神功皇后の神楽でした。

 

神功皇后は、応神天皇(15代天皇)のお母さんで、なんと、当時、応神天皇をお腹の中に身ごもったまま、出兵してしまった、というような、すごい豪胆なお母さんだったのです。

お腹の中に赤ちゃんがいながら戦争に行くって・・・!!

もうほんとにびっくりで、そんな女性が日本の歴史の中にいらっしゃったのかと、しかも天皇のお母さま・・・そこからまずびっくりだったのですが、お腹の中に赤ちゃんがいながら戦争に行くということは、よほど腹が据わってないとできないことだよな・・・と。

 

すごい覚悟がある勇敢な人だったんだろうな・・・と思ったのです。

そんな人はさぞかし、ビシビシっとしたキレのある動きなんだろうなあ、強そうな舞なんだろうな・・・と予想しながら見ていました。

 

でも、実は・・・・

もうひとり、建内宿禰(たけうちのすくね)という男性が出てきて、この人もすごい武人で、この人の動きがめちゃくちゃビシビシっとした感じで、足をどん!!と鳴らし、舞台をささああっと駆け回る姿は、まさに戦場での身のこなしを見ているかのような感覚で、いつの間にか、前のめりになって見ていました。

 

そして続いて神功皇后に扮した人が舞いはじめて・・・

その動きは、先ほどの建内宿禰のような威厳のようなものもあったのですが、ビシビシっという感じではなくて、ふわふわとした、丸い動きだったのです。

でもその動きは、とてもしなやかで、見ている者を魅了するような、そんな動きでした。

 

その時にふと、

ああそうか、覚悟を決めるって、こういう在り方もあるのか、という感覚に気が付いたのです。

お客さんからも時々、いただくことば。覚悟を決めるというのが、怖い、それが出来ない自分に落ち込むのだということ・・・

 

たとえば、自分が届けたいサービスでお金をいただくとき。

そのお金を頂けたら本当に飛び上がるくらい嬉しい。だけれども同時に、その頂いた分だけのものを、お返しできるのだろうか・・・

そう想うと、怖くて覚悟が決まらないのだと。

ダメだと言われたらどうしようとなったりとかで、なかなか出せなくて・・・!

 

というようなお話を伺ったりします。

それは私も分かるなあ、と、覚悟を決めるってなんていうか、すごく固くて、ビシビシっとしなければいけない、不動明王のようにぶれなかったり、なんかすごい感じの人にならなければいけないような感覚・・・

それを考えると、ビシビシっと動けない自分に、覚悟からほど遠いのを感じて、自分には無理なんじゃないか・・・という感じになってきたりするのです。

 

でも、神功皇后の動きを見て、覚悟を決めるって、ビシビシっとだけじゃないのかもな、と。

ふわふわとした動き、まろやかな、しなやかな動き。

でもお腹に赤ちゃんを抱えながらも、それでも信念をもって戦に出ていった神功皇后。その姿は、1700年も経った今でも受け継がれている・・・

 

でもたしかに、お腹の中に子供がいるお母さんは、動きはゆっくりだけど、そのあとのお産の地獄の恐怖に向けて、肚をくくっている・・・

そして、動きがビシッとしていたら、お腹の子にも響いてしまうから・・・

 

だから、びしっびしっだけが、覚悟じゃない。

ふわふわと丸い動き、自然体でゆっくりしなやかに。そういうのも覚悟でいいんだという気付きを頂いた時間でした。

 

そして神様の前でもちゃんとオファーする!

お金を頂くときの覚悟、という話の続きで、「この商品いかがですか」と伝えるとき、「もし、これを伝えて断られたらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」「迷惑じゃないかなあ」

と考えたりする気持ちも出てきたりしますよね。

 

でも、神聖な神様の御前で舞う、神様に楽しんでいただくことが目的の神楽で・・・3つ目の神功皇后の演目が終わったあと、なんと神主さんが

「このごろは~~なご時世で(うまく聞き取れなかった)、神楽の衣装も100万くらいしたりするので、そのご支援をぜひにと、お帰りのさいは、神楽でも使われていた神聖な鈴を、2000円で販売しておりますので、よろしければ」

みたいなことを、言ったのです!!

 

そして最後の演目がはじまり、最後はみんなに、神様にお供えしたお持ちが投げまかれ、わぁーーー!!と盛り上がって終わった、その熱狂冷めやらぬままの帰り際、次々と鈴を買い求めるひとたち・・・!!!

参加者の90%くらいの方が買っていらっしゃった感じがします。

 

まるでライブを見て盛り上がってTシャツを買うかのような感じで、すごいな、うまいなあ、と。

神楽は無料で見られたのですが、無料でご奉仕というわけではない、しっかりお金をいただける流れを作っていたのが、とても、すごく、いいな・・・!と思ったのでした。

無料で何かを差し上げることは、ときには、簡単かもしれない。

 

だけれども、それが本当にいい循環を生まないのだということを、神様が知っているような感覚。

伊勢神宮とかも、本殿に入るには、100万円が必要だったりします。お金は汚いというイメージもあったりしますが、神様もお金はしっかり頂くのです。

それは、お金があったら、もっといい時間を、届けることができるから・・・神楽も、その舞を磨き上げるための時間をとれたり、本殿を建て直すことも、お祈りを捧げる時間に集中することもできる。

 

神主さんにお祈りしてほしいときに、神主さんが外でアルバイトをしていて今行けませんとなったらかなしいですよね・・・!!

 

だから、自分がお金を頂いていいんだろうか・・・と思ったら、神様の御前でも、お金を頂ける流れを作っていたんだよということ、

そして覚悟とは、ビシビシっと素早くできることだけではなく、自然体でふわふわした、のらりくらりのような動きもまた、覚悟であるということ・・・

 

そんなことを、想い出していただけたらなと思い、ここに、記します。

 

お読みいただきまして、ありがとうございました・・!

 








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