最近の日課で、川から山を眺めています

こんにちは、千聖(ちさと)です!

今日は最近私が日課にしていることについてのお話です(日記です)。

 

私が最近やっていること、それが、

 

朝、賀茂川から山を眺める。

 

ということです・・・!

 

川から山を眺める

賀茂川は、京都の真ん中を流れる清流です。小川というほど小さくはないけれど、東京と神奈川の県境の多摩川とか、実家の宮崎の大淀川みたいな感じの大きさの3分の1か4分の1くらいの大きさの川です。

ですが、街中を流れているとは思えないほど澄んでいて、場所によっては蛍が見られたり、絶滅危惧種に指定されているオオサンショウウオ(画像注意)が見られたりもします。

(私も昔、アルバイトの帰りに道端にのぺーっと居るのを見かけました笑 初めて見たときは、ツチノコを発見してしまった・・・!と思っていました笑)

 

そんな川の向こうに、山が見えます。

京都の面白いところは、街と田舎が同居しているところです。私が住んでいるところは、繁華街(でも高層ビルは規制によりない)からは外れた静かな山に近いところですが、繁華街にいる最中でも、山が近くに見えます。

それもそのはず、周りは全部山なのです。そしてその山は、鹿も熊も住むほどの、普通の山、開拓されていない森林が続く山あいの街・・・

 

素敵なカフェも雑貨屋も食べるところもたくさんある都会の良さも引き継ぎながら、風景は田舎です。時々田んぼはあるし、小川もあちこちに流れていて、神社やお寺も数多く散在するので森も多いうえ、おそらく京都の人は情緒ある生き方が好きだと思うので、それぞれの家の庭に見事な梅や藤の花など季節の花が植えられていることも多く・・・

そういう意味もあって、田舎好きで廃墟好きな私にとって、街と森が組み合わさるこの街はツボなのですが・・・

 

だいぶ脱線しましたが、そんな感じで、川があって山があります。

その川から、山を見るのが日課です。

 

何をしているかというと、山の色を見て、自分の心の状態を把握しているのです・・!

山を見て自分の心を?

一時期、色々やる気がなくなった時期があって、疲れ切っていたのですが、そのときに見た山の色が、なぜか、あれ?綺麗じゃない・・・と思ったことがあったのですね。

京都の美しい自然に対して綺麗じゃないと思ったことがなかったので、びっくりしました。あくる日も、あくる日も、やっぱりきれいだと思えなくて・・・

しかもそれは、私の大好きな夏だったんです。1年中夏でもいいくらい夏大好きな私にとって、夏は何もかも美しい時期なはずなのに・・・

だんだん、いつの間にか、山を見上げることもなくなっていたことにすら気付くことができませんでした。

 

でも、色々なことがすっきりしてきて、解決したときの朝、山を見て、ああ、なんて美しい青色なんだろう・・・

そう思ったのを覚えています。

季節にもよるのですが、その時の山は、青く、そのまわりにもやのような雲がゆらいでいて、水墨画に色をつけたような、そんなふうなはっきりとしたというか・・・絵みたいな美しさというか。

そういう感覚でした。

 

その間、季節は変わっていません。冬枯れの山と新緑の山だと見え方もだいぶ違いますが、同じ夏の山だったので・・・

 

その時、私は、あるいは私たちは、目でありのままのものを見ているわけではない、と気づきました。

感情によって、見え方は変わる。見えているものもかわる、時には、色さえも・・・

あなたは、自分のいまの状態を把握できていますか?

自分の状態を客観的に把握することって、意外と難しいと思うのですね。

たくさん走って疲れたとか、風邪をひいて体の具合が悪いとか、そういう感じであれば、疲れているんだな、休もう、というのも分かると思います。

でも、心の疲れって意外とわからないな・・・と。

 

私も会社員時代のころ、もう何もかも限界だったのですが、限界であることに自分は気づいていませんでした。

電車に飛び込んだら楽になるかな・・・そう思って踏み出したくなる自分さえも、当たり前になっていました。電車に乗ると吐き気がする毎日さえも、それが日常になって・・・

 

周りの人は、そんな状態の私を見て、やばすぎると思っていたようですが、私自身はいつも通り笑っていたつもりだったのです。

なので、同期からぎょっとした顔で見られたときは、え?と思ったくらいでした。

 

それほど、自分の心の状態に気づくのは難しい、特に追い込まれているときほど・・・

 

サインはいくつかあります。たとえば

  • 好きなものに興味がなくなった
  • 休みの日にも、やりたいことがなくなった
  • 1日中寝ていたいと思うようになった

などなど。

 

でも、行き過ぎると、戻すのが大変になってきます。

風邪も放置して肺炎とかになったら、1か月など長引いてしまうように・・・

 

ですので、サインが出る前に気づくことができたら・・・

ちなみに上記のようなサインが出ているのは、もう心の肺炎になっている状態だと思います。けっこう悪化中です。

ですので、サインが出る前に気づくというのは、たとえば、風邪の前兆を感じたときに(私の知り合いは、目の奥が痛くなるそうです)、いつもより早めに寝れば、それだけで体力が回復できるような感じの対処法が取れると思うのです。

 

時には思いっきり風邪をひいて休んだ方がいい時もあるけれど。

だけど、風邪をひいている間の休みってただ寝るしかなくてしんどいですよね・・・!

それよりも、好きなカフェに行ったり、お酒とおつまみとともに、1日中アニメや漫画を読み漁ったりとか、そういうふうに楽しく休みたいと思うのです。

 

だからこそ、心の状態を把握する瞬間を

なので、自分流の心の状態を客観的に把握できるような時間とか何かを持っている方がいいな。と思っています。

たとえばストレスで胃痛が起きやすい人は、胃のあたりがもやもやしてきたらとか、肌にきやすいひとは、肌が荒れてきたらとか、そういうのも目安かもしれません。

私は、行き過ぎたときは、風邪の治りが遅くなったり、具合が悪い日が頻発するようになります。

 

自分のことを見つめてあげる時間を1日5分でもとっていけば、そういうのにも気づいていけます。

 

ちなみに私が山を見るのは、ほんとに一瞬です笑

時間にして30秒から1分くらい?それであー今日も綺麗だなあとか、あれ、なんか今日はちょっと・・・とか、瞬間的に判断しているだけで、たいそうなことはしていないです笑

 

朝、鏡をみて、今日の自分いい顔してる!と思うとか、観葉植物に水をそそぐ時間の余裕があるかとか、朝の珈琲が美味しいとか、そういうちょっとしたことでいいと思います。

朝バタバタしてしまう場合は、夜のお風呂に浸かっているときに、今の私どうかな~と感じるだけでも違います。

 

つまりは、自分を見る時間、いたわる時間、大事にする時間を作る!

そういうのが大事なんじゃないかな、と考えるのでした。

 

現代は、家電がなかった時代に比べ、とても便利で効率的に生きられるようになりました。情報もたくさん、手軽に手に入るようにもなって。

 

でも、自分を大事にする瞬間は、効率的ではないところにある、とも感じています。

たとえば、花をじーっと見る時間とか、海をぼーっと眺める時間とか、川のせせらぎを聴いているだけの時間とか・・・おおよそ効率がいいとは思えない、誰かから、「その時間無駄じゃない?」と言われることもあるかもしれないくらいの時間。

山を見るのもそうです。

 

でもそういう時間こそが、自分らしく生きることができる、大切な時間でもあると感じています。

というようなことを考えた日記でした。

 

ここにてもお読みいただきまして、ありがとうございました。

 








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自分にしかできない魔法を探しに



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