人生や仕事の幸せの定義ってなんだろう?全部常識だからで我慢すべきなの?
幸せの定義って人それぞれだと思いませんか??
空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です!!
本日は、この前の飲み会で聞いたことをもとに、幸せの在り方について考えてみたいと思います。
強要されるもの
先月、前の会社の人と飲みに行きました。
交流はたぶんこの先ほとんどないと思いますが、突然辞めてしまったので、後輩や、飲みに行こうと言って下さった方々とちゃんと話せないままだったので、話せてよかったです。
そこで後輩から聞いたとあることが引っかかりました。
その後輩は、直属の先輩の結婚式に呼ばれたのですが、夏休みだったので、実家へ帰省する飛行機をとってしまっていました。(片道5万くらい)
行きたかったけれど、服もなくお金もなくてちゃんとお祝いできなそうだったので、一度お断りしたそうです。
ところがそのあと、なんであの子来ないの?非常識じゃない?
みたいな噂が広がっていたというのです。
そして、別の先輩経由で行きなよとか言われて、結局飛行機もキャンセルして行くことになったそうです。
お世話になっているであろう直属の先輩からのお誘いだったので、例え義理や義務みたいなものであっても、行くのが常識的なものだったのだろうという意見は認めます。
私が先輩の立場だったら、あんまり慕われてないのかも・・・ってちょっとかなしい気持ちにはなるかも。
でも、非常識とみんなで陰口をたたいたり、行くべきとか催促するのは、どうかなと思います。
常識だったら何を言ってもいいわけじゃないです。
カツアゲみたいです。
世界には、色んな価値観が溢れています。
最近の若者は飲み会を断ってけしからんとかも言われてますが、良く会社飲み会に行っていた私の場合でも、楽しそうだから喜んで行っていた、もしくは空気を読んで、行かなければまずいと判断した時にも行っていただけです。
つまり、私の意思です。
そしてその最近の若者も、行きたくないから行かないです。それもまた意思です。
周りの人がどう思おうか別に気にせずいられるなら、そっちの方がうらやましいです。
会社で働く働かないも、私は引きこもり引きこもり言っていますが、会社に勤めることも良いって思います。
会社で定年まで立派に働くことは、とてもすごいことだと思います。
1つのことを続けることは誰にも出来ることじゃないです。
だから、誰にも彼にもブログで生活しなきゃダメですよ!
とか言うなんてとんでもないですし、自分が居たい場所で働けるならそれが一番いいって思います。
でも、こちらも強要しないので、だからこそ、インターネットで生活なんてそんなのはおかしい!非常識だ!これだから最近の子は!とか非難するようなこともしないで欲しいと思うのです。
アニメオタクは犯罪者になりやすいみたいな感じの方向性で報道されることも多いですが、理解できないからってあげつらって排除しないでほしい。
アニメが好きじゃない人の中にも良い人も悪い人もいるように、アニメが好きゲームが好きな人の中にもいろんな人がいます。
結婚式だって、行くという選択肢も、行かないという選択肢もあっていいって思います。
どちらの意見も、同じように許容しながら生きていけるのが一番いいんじゃないかなって思います。
あなたの意見も正しくて、私の意見も正しいみたいな。
アドバイスであっても、あなたの意見はわかった、でも私はこう思うけれど、それを踏まえて考えてみてくれる?というスタンスです。
それで、相手がそれでも、自分の意見が正しいと思って、折り合わなかったら、それで「そっか」でいいんじゃないかって。
なぜなら、どっちでもいいからです。
何を選んだってどれが正しいかなんてどうせ誰にも分からない。
一般的に模範的だと言われている生き方をしてきた父が、母に酷い形で裏切られてしまうことだってあります。
幸せの定義だって人によりけりで、家でじっとしているのが嫌いな人が引きこもって仕事しなきゃいけなくなったら、つらいです。
私の妹もありえないレベルの暴力ブラック企業から晴れて退職したので、私がブログやる?って薦めたら、家の中でじっとしているなんて無理!
って言われましたorz
どこで作られたかは分からないけれど、一般的にそうしておけばなんとなく上手く生きられるというものが、多数決によって常識になっているだけなんです。個人の幸せがいつも、その常識通りであるとは限らないですよね。
現在常識になっている模範的な道と、自分の幸せの定義があてはまったら人は幸せになれます。
でも、当てはまらなかったら幸せになれないかもしれないですよね。
そもそも人が幸せだと思えるのは、自分が幸せだと感じた時だと思います。
どこにいようが何をしようが、思い込みであっても「自分が」幸せだと思えるのであれば、それが幸せの定義だと思います。
だからつまり、自分の気持ち次第
仲睦まじくて幸せな夫婦も、何かのきっかけで相手が浮気しているんじゃないかと疑い始めたら、幸せとは言えなくなってしまう・・・。
浮気なんて事実無根だったとしてもです。
だから、安定と言われる大手企業で働いていても、「こんな仕事をする人生は幸せじゃない」と思ったら、この道は幸せなものじゃなくなります。データ的に離職率が高かろうが、「この会社で働くことが生きがいだ」と思ったら、それは幸せです。
一番不幸なのはきっと、なんとかしなきゃって思いながらも、何も選べなかったとき。
だから、自分で行く方向は選ぶべきだって思います。
そして選んだのならば、その選んだ道を正しいもの、幸せなものにするために、頑張るんだと思います。
その結果頑張った、良くやった、って思えるから、幸せになれる可能性も高くなる。
だから、ある道を選ぶ決断をした人の幸せを、本当に願うのであれば、こっちの道の方が幸せだ!!オマエのことが心配だから言っているんだ!じゃなくて。
こっちの道が自分的には良かったけれど、そっちを選ぶ?なら、応援するよ。という立場で在るのが一番いいんだろうなって思います。
アドバイスであっても、考えを押し付けてしまったら。
またやっぱりあっちの方がよかったのもしれない・・・と悩み始めて不幸スパイラル思考になってしまうかもしれません。
幸せだと思える場所に居たいですね。
居ることを許容し合いたいです。
耐え続けることを選ぶことと同じように、逃げることを選ぶことだって、常識に抗うというとんでもないエネルギーが必要です。
自分にしかできない魔法を探しに
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