令和時代の生き方は、好きなことを仕事にが最も幸せな生き方
空飛ぶ引きこもりライター千聖(ちさと)です!!
いよいよ新元号、令和の時代になりましたーー!!
いずれ教科書にも載るであろう、時代の節目に居合わせたのですね~!
そう考えると、歴史は今の積み重ね・・・歴史に名を残すような人たちも、昔はすごい人だというイメージでしたが、考えていることや悩むことも、今の人たちと同じなのだな・・・というのを最近、しみじみ感じます。
だからこそ、歴史から学ぶというのが大事だったり、昔の人の書籍を読み返すと今の悩みが解決したりもあるのですね。だからこそ、長く続く歴史あるものや・老舗のお店などから学ぶことで、いまの私たちが生きる上で大事にしていきたいものが見えてきます。
さて、令和・・・という名前について、私がどう感じているのか、そしてその令和の時代はどういう時代になるのか・・・・実は好きなことを仕事にすることで、幸せに生きられる時代です!
というお話をお届けしたいと思います。
日本の国柄を次の世代に受け継ぐ
「令和」という名前を聞いた瞬間、やわらかい響きの言葉だなあと思い、と同時に「令」は日常では使われず歴史によく出てきそう、というイメージから、なんだか過去を重んじるような、厳かな気持ちになりました。
そして万葉集からとったものである・・・というのを聴いて、ほんとにこの元号いいなあ~~と思ったのでした。
安倍総理は、この元号にした意味を
「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたいとの願いを込め、『令和』に決定した」
と、会見で話していました。
これを聞いて、日本も、原点にかえろうとしているのかもしれない・・・と感じて、なんだかとても嬉しくなったのです。
国柄・・・というと、私はきっと昔は、そんなもの受け継がなくていい。
と思っていたと思います。
というのも、日本の国柄が嫌いだったからです。
私にとっては日本の古き良きというものに、生きづらさを感じていました。というのも、私の出身地の宮崎や、祖父母の出身地鹿児島が重んじる「古き良き日本」というのが、以下のようなことだったからです。
「女は三歩下がって後ろを歩け、女が家事育児をするべき」
「苗字を継ぎ家を継ぐことが何よりも大事(だから好きなところに住めない)」
「親の決めた人との結婚」
その根拠となるのが、鹿児島、薩摩藩の西郷さんたちが、そういう生き方だったから・・・今の時代は薩摩藩が作ったんだ、すごいだろう!!というのをことあるごとに聞かされたのです。
一言でいえば九州男児的な考え方で、もっと言えば男尊女卑的な感じというか・・・正確に言えば男性も「男は人前で泣くもんじゃない」「強くなければいけない」みたいなことが言われていたので、この型にはめられる男性としても生きづらい話だと思います。
自由がないと言えばいいのでしょうか・・・
個人の意思よりも、女性だからとか男性だからとか家のメンツだったりとか、こうあるべき、ということこそが何よりも大事だという感じでした。
だからこそ、好きなことを仕事にするなんてもってのほかでした。
正社員で、公務員こそが最も安泰であり、その道に進むべき、という考え方だったので、好きなことを仕事になんてことはタブーくらいでした。
でも、私が伝統・日本本来の国柄だと思っていたことがそもそも、日本が大事にしてきた伝統じゃなかった・・・ということに気付いたのです。
ほんとうの日本の国柄とは
今は、ネガティブ思考だからダメだとか、ガンガン行かないといけないとか、利益主義になったりしていますよね。
でも、歴史を見てみると、将軍さまは引きこもりだったり、平安時代の人たちは、物忌みだとかいって、良く家に引きこもっていたりとか・・・バーンと大きく派手なものよりも、小さい茶室を好んだり・・・
また、1000年以上の歴史を持つ世界一古い老舗の日本の会社が重要視しているのは、利益じゃないのです。
以下、その会社の元社長が書いた本より
「絶対に金儲けをしてはいかん」
「儲けは後からついてくるもの。必要以上の金儲けに走ってはいかん」
利益よりも、お客さんのために・・・あるいは、スタッフさんのために・・・というおもてなしの精神です。
そして男尊女卑的な考え方ですが、でも、昔には、女性天皇も何人もいらっしゃったり、日本で一番有名な神さま、天照大神も女性だったり、卑弥呼も女性、かかあ天下と呼ばれる呼び方や・・・
もし男尊女卑的な考え方が重んじられる伝統であったなら、歴史上の大事な部分で女性を大事にしている歴史があったのだろうか・・・と思うのです。
天皇制も、男性しかなれないというわけじゃなくて、実は男性を、出来ない空間だともいうのです。
だから女性が偉いとかそういうわけではなくて、私が嫌いだと思っていた日本のあり方は、実は本当の日本じゃなかったのだ・・・ということに衝撃を受けたのです。
確かに3歩下がって後ろを歩く・・・ということもあったかもしれない、でもそれは、私だったら別にそれは全然いいな、と思うのです。
ただし、人によりけりです笑
権威に弱く、自慢話が多くて、偉そうにふんぞり返って奥さんをあごで使う・・・
まるで今の会社のダメ社長のような・・・・
そんな人じゃなくて、本当に尊敬できる人であれば・・・3歩下がって歩く、という考えがあったのもすごくわかり、いいなあ、と思うのです。
表立って目立ちたいわけじゃないので・・・ひっそりこっそり、生きていって、時に雲に隠れることもあるような、月のように生きられるのが美しいという気がします。
そういう意味でも、3歩下がって・・・という感覚はすごくいいなあ、と感じます。
時代が変われば物の受け止め方や、本質の捉え方も変わってくる・・・
だからこそ、「3歩下がって後ろを歩く」ということも男尊女卑になり、嫌なイメージになったりしていたのだなと。
私が嫌いだと思っていた宮崎や鹿児島の伝統というのは、長い日本の歴史の中のほんの一部の価値観に過ぎず、あるいは、祖父のような、一握りの中だけの話だったかもしれません。
実際に西郷さんが亭主関白だったわけでもないと思います。それこそ、西郷さんも亭主関白だったから俺もそうしていい、という感じで後世の人が勝手に解釈しているなら、西郷さんも困ってしまうかもしれませんね。
宮崎には「てげてげ」という言葉があるように・・・その意味は、だいたい、ほどほどに、適当に、という意味で、なあなあな性格とか、テキトーな性格みたいな、マイナスなイメージ、ひいては宮崎の人の欠点の象徴みたいな感じで自虐的に使われることもありました。
でもその本来の精神は、ゆるく、柔軟に、押しつけるのではなく、お互いを尊重する間を残して・・・そんな意味だったかもしれません。
今の常識は、昔の非常識だったのではないかと。
そんなことを考えていると・・・正社員や公務員で安泰こそ正義という価値観も、バブル崩壊という衝撃がもたらした、時代の1つの流れから生まれたその瞬間の価値観だったのではないか・・・と今は感じています。
だからこそ、好きな事を仕事にするということがタブー視されていたことも・・・それは「伝統」「美徳」「正論」「常識」ではなくて、ただ時代のトレンド的な、1つの考えなだけだったのです。
そして実際に、令和の時代は、好きな事を仕事にしていくスキルを身に着けていく方が、幸せになれる時代でもあるのです。
どういうことかというと、AI化が進むからです。
令和の生き方~AI化がもたらす働き方の変化
AI化は、すでにあらゆるところで進んでいますよね。AI化が導入されていけば労働としては、AIが全てやっていくことになります。
Amazonの工場も自動化で、人の手がいらなくなったりとか
改札も自動になったり、レジ打ちも車も自動運転など・・
ロボットは大量生産でき、なおかつ休みなく働くことができます。
だからこそ、ロボットのように働けない人間の労働の価値が下がります。
なので今までただただ安く大量生産するとか、どこよりも早く安くなど、労働力だけを売ってきたブラック企業がますます悪化するのは、会社のせいはもちろんですが、時代の流れも大きいです。
なので労働力をお金にする、会社に行けば給料がもらえる・・・
という今までの生き方では、AI化がますます進む令和の時代では、安月給になっていくのですね。
その代わり知的な活動、人間にしか出来ない温かみや、人間味というところを活かすお仕事や働き方が、ますます価値が高まっていきます。
AI化が進んでも、AIは人間じゃないので人間味はAIには出せませんからね。
美容室であの美容師がいるからあそこの美容室に行くというような、「あの美容師さん」と指名して頂けるような・・
そんな、「あなただから」と言われるお仕事をしていく必要があります。
そして、そんなお仕事にしていくには、あなたの想いが大事なので、想い入れがあるようなことーーーつまり、あなたの興味があったり、好きなお仕事なのです!!!
美容室さんも、嫌々やっている人のところにまた行きたいと思いませんよね。
毎日楽しい~!とか、この仕事好きだなあと思ってわくわくしながら、突き詰めていくような、そんな美容室さんの方が嬉しいですよね。
だからこそ、好きな事を仕事にしていくことが大事になるのでした。
それがスキルがあるかないかで、頂けるお金の額もかなり変わってくる、なのでどう生きるかで、これからは格差がますます広がっていきます。
だからこそ、上司とか親が言っているような、正社員じゃなければこれから生きていけないよとか、公務員の方が安泰だから、公務員で、というような感じの生き方のような敷かれたレールの上を歩く生き方をする方が、むしろ安泰から遠ざかって、どんどん人生が悪化することになります。
なのでやっぱり、まだ今、常識ではないことでも、自分がやってみたい、と思うことは、思い切ってやったらいいのだと
そんなの非常識だという言葉や無理だよ、才能ある人だけだよとそんな言葉があるからこそ、どんどん挑戦していっていい!!
と思います。
そしてバカにしてきた人たちだったり
可能性を信じない人たちを見返してやる~!!!くらいでやったらいいなあと思います。
私もあの時、仕事を辞める私に、聞こえる陰口でお局が言っていた
「忍耐がない、甘えている」
とか、
上司の、
「あなたの代わりはいくらでもいます」
という言葉に、見てろよーーーー!と思いながらやりました。
今はあなたに出会えたので、その言葉をくれた上司に感謝しています。
そして好きな事を仕事にの道は、特別な才能が必要だったり、お店をいきなり立ち上げるみたいな、500万とか1000万の初期投資が必要、といったたぐいのものではないです。
月1000円ほどで運用できる、たった1つのブログが、あなたの好きな事を仕事にの道へ連れて行ってくれます。
なので、思い切ってといっても、こっそりひっそり、あなたの好きな事を仕事にしたいというお気持ちを叶えて、希望の未来にしていきませんか。
令和の時代が、あなたにとって、好きな事を仕事にする幸せな時代でありますように。
追伸
令和の名前の出典・根拠となったのは、万葉集の梅の花を読む場面です。
今までの年号は、中国の古典を出典としていました。
でも今回は日本のものを出典とするという初めてのことでした。
だけれども、梅の花を読む場面を出典としている・・・そこにも日本の美学を感じたのです。
梅の花は、もともとは、中国が原産です。だから、中途半端というか、なぜ梅の花なの??日本古来のものでもないのに・・・という批判がテレビで展開されていましたが、私はむしろこれもすごくいいなあと思ったのです。
日本は、お正月もあるのに、クリスマスもハロウィンもある。そんなふうに、他国の良さも受け入れて、受け入れたうえでなおかつ組み合せ、新しいものを生み出す・・・そういうのが得意です。
もともと宗教の違う、神社とお寺を一緒にしてしまったりとか、全てのものは神様という感覚があったり・・・(神アニメ、という表現もこういう感覚かと思います)
だから全てを日本のものでガチガチにするのではなく、もともと中国の古典を出典としていた過去の年号への尊敬の気持ちを、梅の花、というところに残したのかな・・・と感じました。
そういうのってすごくいいなと思うのです。排除したり、批判したり、上から目線で押しつけたり・・・そういうふうにするのは簡単だし、楽です。
そうやって行った先に、戦争があるのだと思います。
でも、違いを尊敬し、乗り越えて、もっとよりよくするにはと考えていく・・・
かつて日本は、大和と呼ばれていたように、和の精神です。
今の会社のありかたみたいに、勝つか負けるかじゃなくて、人と人とが手を繋いで丸になるように・・・違いを認め、受け入れてともに生きていくことで、もっとより良いアイディアやあり方が生まれ、みんなが幸せになる、そんな精神だと感じます。
だからといって、自分を押し殺して相手の全てを受け入れるのではなく、時には考えが違ったら、さらりとかわしたり、その世界とは別の世界に行ったり・・・・ということも、和の精神だと考えています。
仕事で言えば、相性が合わない人とお別れしたり、お断りしたりですね。京都が一見さんお断りにしているのは、こういう所以があるのではないかな、と考えています。
実際にその精神を受け継いだ会社が、世界最古の会社になっており、さらに日本も、国が変わらないで残っている、世界最古の国です。
それはきれいごとではなく、長続きする秘訣なのですね。
そして、万葉集は、高貴な身分の人だけではなく、幅広い身分の人が読んだ歌をまとめたものです。
だからこそ、令和の時代は、権威あるものではなく、個人個人が、お互いのあり方を認め合うことで、梅の花のように花開いていき、そして、それぞれがやりたい!と思えることができる時代だとも、感じました。
新しい良い時代がきましたね。
ぜひぜひあなたのやりたいこと、叶えていって頂けたらなと思います。
自分にしかできない魔法を探しに
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