人や環境のせいにする人な私が十二国記の名言でしないに変われた話

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空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です!

人生において、とてつもなくむなしくなるとき・・・・それは、人や環境のせいにしてしまうことなのではないかな・・・と思います。

 

その瞬間はとても楽で、逃げ道としてはすごく簡単なものです。

それは薬を飲むようなものかもしれません。

 

でも、あとあと・・・自分自身を苦しめてしまう・・・そんな劇薬だと思っています。

 

だって、かっこわるい・・・ですよね・・・!正しいか正しくないかとかどちらが良い悪いとかじゃなくて、ただ、そういう生き方は、かっこわるい・・!と思ってしまう。

自分を正当化する言い訳はたくさんできるけれども、それをすればするほど、かっこわるい自分に気が付いてしまう・・・だから、余計自己嫌悪になって、自己否定になって・・・

そうしてますます、人や環境のせいにしなければ、やっていけなくなってしまうんです。ダメな自分を認めたくないから・・・。

 

そんな生き方、すごくつらいと思います。

 

でも、かつての私は人や環境のせいにして、文句ばかり言う人間でした。

そして、私の母も・・・そうやって、宗教にハマっていってしまい、お母さんのせい、お父さんのせいと言いながら、今までかかわった人たちにお金をせびるような生き方になってしまいました。

 

もしもこの本に出会わなければ、私も母と、同じ道をたどっていたかもしれません。

十二国記は、人生を変えた本

小野不由美さんが書いた十二国記というファンタジー小説があります。

主人公の少女が異世界に飛ばされて・・・と、よくある話のようですが、その結末はとんでもないものでした。

詳しくはこちらの記事に書いています。

 

主人公は、人の顔色を窺ってばかりで、今の自分があるのは、人のせい・環境のせいだと思っています。

異世界に飛ばされたのは、確かに理不尽なことだったのですが・・・でも、その異世界で人に裏切られたり、悩んだりしていたのは、だんだんと、自分の考え方、自分に問題がある、ということに気がついていきます。

 

自分のせいである、ということに気が付き、自分のやるべきことを受け止めた主人公を見た時、心の底から、この主人公のように変わっていく人をかっこいいと思い、

そして、今まで主人公と同じように人のせいばかりにしていた自分に気づき、この主人公みたいに変わりたい、とそう思った自分がいました。

理解されないことばかり嘆いていました

そのころの私は、すごく孤独でした。

八方美人で人当り良い感じで、無難に人間関係をやり過ごしてきていました。

 

でも、無難になればなるほど、自分というものを見失うものなのですね・・・

人に合わせるたびに、自分がどういう人間なのか、どうしたいのか、というのがだんだん、分からなくなってきて。

 

心の奥底では、こんな風に八方美人で苦しんでいる私のことを分かって欲しい、八方美人になっている本当の私に気付いて欲しい。頑張っている私に気付いて欲しい。

何で気付いてくれないの?友達も、先生も、そして、親も―――親なのになんで??

 

なんで???

何で私ばっかり??

どうせ私のことなんて誰も分からないんだ。

 

そんなふうにばかり、考えていました。

考えている時は、ただただ苦しかったように思います。

 

 

でも、十二国記シリーズの中の「図南の翼」という本の中で、こんな言葉がありました。

説明されなければ、理解できるもできないもない。

 

説明されなければ理解できるもできないもない・・・

そのとき、はっとしたのです。

 

そうか、私は、人に理解して欲しいと、一言でも言ったことがあっただろうか?

八方美人で悩んでいて・・・どう思う?と、誰かに聞いたことがあっただろうか??

 

そもそも八方美人になったのは・・・自信のない自分を、人に知られるのが怖かったから。本当の自分を知られたら、人が離れていくんじゃないか・・・

そのことがただ、怖くて・・・

 

その恐怖から、逃げていたのは、私の方だったのです。

 

理解されないのではなくて、

理解されたくなかったのだと。

人のせいにして、環境のせいにして・・・私はただ、恐怖していただけだったのだと。

 

そして、理解してもらいたいと本当に願うなら、私の方から、心を開いていかなければいけなかったのだと。

何事につけても、自分の身に起こってみなければ、理解できないものというのはあるからね。

それは事実だけれども、同時に理解を拒絶する言葉でもある。理解を拒絶するくせに、理解できない相手を責める言葉だ。

人を非難することは容易い

そして、環境のせい、人のせいばかりで、人を責めてばかりいたのですが・・・でも、華胥の幽夢(かしょのゆめ)という巻で出てきたこの言葉も、心に残っています。

「それは違うじゃないの、と〇〇(登場人物名)を非難することは容易いけれど、では、どうすればいいのかと言われると、それが私にも分からないのです。国を正し、主上を正す必要があることは確かです。そのために何をすればいいのかは分からない。ただ、〇〇のやっていることは違うと思う―――それだけで、〇〇を責めることなど、して良いのでしょうか?」

「主上を責める資格があるのは、主上よりも巧く国を治められる人だけではないのかしら」

批判すること、非難すること・・・環境を責め、人を責めること・・・それは誰にでも出来ること。

でも、それだけでは前に進まない・・・政治家も、〇〇が悪い、とよく言っていますが、じゃあ自分だったら、どうするのか?そんなことを考えていくことが、本当に大事なのだと、そう思いました。

「人を責め、非難することは、何かを為すことではない」

 

人を責め、環境を責めていても、何も変わらない。

D・カーネギーの「人を動かす」という有名な本でも書いてありましたが、人を非難しても、その人をより意固地にさせるだけで、何も状況は改善しない、ということが書かれていました。

 

周りを変えていくには、自分を変えていかなければいけない。

良く聞く言葉ですが、本当にそうだなあと、なんだか腑に落ちた瞬間でした。

 

 

全ての行動が、自分によって生まれたことだと認識していくことは、渦中にあるときほど、つらいことです。

でも、認めずに人のせいにする生き方よりも、自分の問題だったと反省して、次にじゃあどうすればいいのかと活かしていくこと・・・・それはその瞬間はしんどいものだけれども、あとあと振り返った時に、自分に恥じない生き方が出来るなあと、そう思うのです。

 

その恥じない生き方の積み重ねが、自分への自信にもなっていくのではないかなと。

 

そしてまた、自分の問題だと言って、自分の人格を責めるというのもまた違って。

反省するのは、自分の行動だけでいいと思います。

 

自分に才能がなかったから、自分がこんなにダメ人間だから・・・

そんなふうに思うのではなくて、あの時のこの行動を、次はこういうふうに変えていく、

 

誰が悪いとか、悪くないとか

自分が悪くないなら相手が悪い あるいは相手が悪くないなら自分が悪い

そんなふうに2択ではないこと

 

そうではなくて、だったらどうしたらもっと良く変えていけるか?

どうしたら、もっと良い在り方になっていけるだろうか?

 

そんなふうに考えていくことで、人生はより良いものに変わっていき、自分の未来を変えていける自信にもなっていくのだと、そう思えたのでした。

 

これからもきっと、たくさんの苦難があって、幸せな時もあって、山あり谷ありの人生だと思います。

それでも、自分が後悔しない、自分で自分にかっこいい!と思える自分になっていく道を選択していくこと、そんな風に生きていくことで、谷のときも、乗り越えていけると、そう思います。

 

そんな私の人生の教科書のお話しでした。

お読みいただきまして、ありがとうございました。

 












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