日本が大嫌いだった…同調圧力や慣習が生きづらいけれどでも本当は。

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あなたは、日本に対して、どんなイメージを持っていますか?

 

空飛ぶ引きこもり物語ライターの千聖(ちさと)です。

私の持っていた価値観は、
日本というのは亭主関白というのが
伝統的な考え方だというものでした。

私は宮崎の生まれで、
九州には九州男児というものがあり
亭主関白で、わかりやすく言うと、
妻は絶対に夫の言うことに逆らってはいけない、
というような考え方です。

常に夫の3歩後ろを歩き、
夫に付き従い、
自分の人生を夫に捧げて
一生夫に尽くして生きていくということ

そうあるべきだという価値観です。

(男性側にとっても、男とはこうあるべき、を強いるものだったので、
生きづらい男性もいらっしゃったことは、のちのち知ることになります)

私の祖父は鹿児島なので、
西郷隆盛のような
歴史上の偉人たちの名前を出して、
偉人たちもそうやって生きていたと、
祖父はよく力説していました。

祖母はそれに対して
本心は反抗していたけれども
そういうものだと諦めていました。

一方、祖母の娘である
私の母は、その考え方はおかしい、
夫婦自由に色々な意見を受け止め合いたいと思いながらも

もがいて生きていましたが
周りのひとたちは、普通に夫に対して尽くすこと
自分の意見ではなく夫の意見が絶対、

という生き方が普通だったため、
徐々に追い詰められていき、
宗教に救いを求め行方不明になったのでした。

そんな考え方の中で育った私は
やっぱりその考え方は違うと思う・・・
それで本当に幸せになれるんだろうか・・・?

でも、それが日本の伝統的な考え方なのだとしたら。

その伝統的な考え方に、
染まることができない自分が、
親不孝のような感覚、
劣等感だったり、居場所がない感覚で
そんな自分はどこか変で、
どこかがおかしいのかもしれない、
だからダメなんじゃないかと、

そう思っていました。

だけど、西洋には
そうじゃない考え方もある、
日本は遅れていると言われる、

だから、そもそも、
そういう考え方が伝統である日本が、
大嫌いでした。
こんな場所じゃなければ、
もっと生きやすかったかもしれないのに、と。

でも、大学生になって、
宮崎から京都に引っ越したあと、
出会ったサークルの人たちと、

何かのきっかけで・・・

確かあれは、夏休みの合宿で、
家に帰らないといけないから合宿に行けない、
その理由について話したときだった気がします。

「祖父から、実家に帰って、
家を継げ、地元の男と結婚しろと言われてて、
だから定期的に帰らないと余計うるさく言ってくるので・・・」

というのを話したら、

「え?何それ?いつの時代?」

と言われたのが、
本当に衝撃でした。

私の持っている価値観は、
もしかして、今の日本の考え方ではないのかな・・?

そんなことを想い始めます。

そのあと、

「好きなことやりましょうです」

と、まるでごくごく自然に、
息をするかのように当たり前に言ってくれた
山に籠る先生、竹川さんとの出会いで

好きな仕事をするなんて
我慢が足りない、甘えで、
やってはいけないものだと思っていた価値観が、
それやっていいんだ!!!

というのに変わったことで、
それをやりたかったのだと自覚し、

この文章を書いていくみちを、
歩み始めるようになりました。

だから、自分自身がいま、
持っている価値観というのは、
必ずしも、当たり前ではないのだと、

そういうところに気づいていくことは
本当にやりたいことを思い出すうえでも、
重要な部分でした。

さらに、あるマンガを読んでびっくりしたことがあり・・・

それが、明治時代初期を旅した
イザベラ・バードという、
イギリス(大英帝国)の冒険家が、
日本の文化を記した実際の冒険記

それを漫画版にしたものでした。

そこに綴られていたある日本の女性の話で、
その日本の女性は、
もう何十回も離婚しているのだと、

それに対して、
バードさんは、

「この国では離婚歴があっても非難されたりしないの?」

というような感じで驚いており、

それに対してバードさんの日本人通訳の人が、

「家柄にもよりますが、嫁は貴重な労働力ですから、経験豊富な女はむしろ重宝されます」

と言っている場面があり、
え?!と驚きました。

昔の日本の方がむしろ亭主関白的な
そういう窮屈さがもっと色濃くあって、

戦後、西洋の価値観が入ってきて、
自由な国になっていったんだな、
と思っていたけれども・・・

実は、逆だったのか・・・!

西洋化が進む前の日本は、
もっと自由だったり多様性を認め合うような
そんな考え方だったのではないかと。

 

この漫画は必ずしも、

実際の記録に基づくものばかりではないようですが、

こんな記事もありました。

でも、たしかに、
多様性を認め合う価値観がなければ
神社に仏様をまつったりしないし
クリスマスもハロウィンもお正月もやってしまったりしないし
八百万も神様はいないよな、と。

いろんな文化の良いところ悪いところ
色々なものや考え方を受け止めていける、
その寛容さがあるからこそ。

いまでも神アニメと言ったりするし
自然の中に神様がいる、いろんなものに神様が宿る感覚を持っている。
それはなくなったわけではなく

受け継がれてきているからこそ
時に違和感や苦しさがあるのではないかと

本当は、今持っている、
日本に対するイメージすらも、

それはもしかしたら、
思い込みなのかもしれない、ということです。

その視点から見れば、

亭主関白=九州男児
とも限らなくて

同じ宮崎に住んでいても
その価値観で生きているとも限らなくて
ほんとうはもっと違う価値観の人がいっぱい、
いらっしゃったと想います。

ただ、当時の私には
亭主関白の世界が全てだと、思い込んでいました。

同調圧力が強く
満員電車に乗って
みんな死んだ目をしていて
でもみんなそうしてるからと今日もまたそうする。

窮屈で、窮屈で、窮屈で

そんな国に、絶望していました。
大嫌いだった。

でも・・・それが本質じゃないのだとしたら。

そう気づいた時、
ほっとしたような、
肩の力が抜けたような

私はここに居てよかったのだと、
そんな感覚が押し寄せてきました。

本当は、日本のこと、
好きでいたかったんだ。

この国で生まれたことを誇りに想いたかったんだ。

そう想いました。

絶望するということは、
本当は、そこが大切だったり
好きだからなんですよね。

興味のない相手に対して
希望も絶望もないし、
好きな人に嫌われるから絶望になったりする。

そして絶望の気持ちを感じている・・・
ということは、まだ八方塞がりではない、
ということでもあります。

竹川さんは、言いました。

「絶望を感じるということは、
光が見えているからなんですよね。
本当に諦めてしまっている人は、何も感じない。

トンネルも遠い先に光が見えているからこそ
その遠さに対して、
苦しい気持ちになる」

と。

だからこそ、絶望を感じたり
未来に希望をなくして
閉じていきそうな気持があっても・・・

それは本当は、そこに行ける道があるのを
知っているからこそ
信じているからこそ。

だけど、どうやっていったらいいんだろうと
不安に飲み込まれ投げやりになったり
時に本当にこうありたいということとは
真逆の行動をとってしまうこともある。

でもそんな時に
その先行きのガイド、
道を照らす竹川さんがいてくれたから、
私自身も、トンネルの出口にたどり着けることを
信じ続けることができました。

だからこそ、
私はここに居ていいんだろうかと
安心できる居場所がなかったり

ひざをかかえ、
ひとりで泣いている小さな子供が
ずっと胸の内にいるようなそんな感覚がある方にこそ

竹川さんが届けてきてくれた
ネガティブやダメなこと、
悩んだこと葛藤したこと苦しんだこと

それらが全て、魅力になって
あなたにしかできないお仕事になっていく

その考え方があるから
そういう居場所がなかった感覚の方こそ
幸せになれるのが、未来型だったから

そんな考え方の未来型の場をお届けしたいと

そう想い活動しています。

この場が、
あなたの居場所になれましたら、幸いです。

 

お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

→そんな場を隠れ家としてお届けしています。

 








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