自分はこうしたい、を表現したら人生が変わる~車の運転からの気づき
空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です。
今日は、お客さんのブログを読んでいて、車の運転のお話から、人生の考え方に繋がる話を書いてくださっていたのを拝見して、そういえば、私にもそういうことあった・・・!
ということを想い出したので、書いてみたいと想います。
車の運転は人生に通ずる
車の運転って、その人の人柄が出るような感じがしませんか?
ハンドルを握ると人が変わったようになる…という表現とかもありますが、どこかお酒に似ているな、と想っていて、その人の本性とか、性質だったり性格みたいなところが、すごく浮彫になるなあと。
例えばせっかちな人は、運転の車幅を詰めがちになったり、車線変更もこまめにして、とにかく目的地に速く着こうとしたり・・・
逆に、ゆっくりのんびり走っていて、速度も標識通りの速度よりも遅くて、後ろの人が詰まっているのに、全然気にしないでのんびり走っている人とか。
私はといえば、周りの人に気を遣いすぎて、車線変更が全然出来ない。
というような状況でした笑
これは、普段の生活からも言えて、常に周りの人の意見とかを伺っていて、千聖さんは何する?と聴かれても、「なんでもいいよ」と答えてしまったり・・・
みんなでご飯に行ったときも、みんなから浮いたようなメニューを頼まないように・・・という感じで、みんなの価格帯や食べている種類に合わせてから決めたりしていました。
それは、もちろんそうしたいから、ではなく、ただ、はみ出してしまうのが怖かったから、なんか変なことを思われたらどうしよう、と思っていたからでした。
そういう思考が染みついていたので、運転の時も、車線変更しようと思っても、あ、今ウィンカー出したらこの後ろの車困るかも・・・
この速度で走っていたら後ろの車が邪魔だなあと思うかも・・・
と、考えていたら、目的地を通り過ぎてしまう・・・
ということがよくあって、車の運転は本当に苦手でした・・・
私が大学時代に入っていたサークルは、車を使って山に飛びに行くハンググライダーサークルだったので、車の運転をよくしていました。
なので運転できる人は多い方がいい、ということで、先輩が、免許とりたての後輩に運転を教える、というのが恒例となっていました。
私は上記のようなヘタレ運転なので、運転要員としては見られていませんでしたが、その中で、部員一の努力家で面倒見のいい、尊敬する部長がいて、その部長は私の車の運転を根気よく見てくれていました。
その中である日言われたこと
私がいつものように、ウィンカーを出したら困るかも、どうしよう、というような感じでいつ出そうか、出すまいか、と悩んでなかなか車線変更できずにいたときのことです。
部長がふと
「ウィンカーは、自分が曲がりたいと思ったときに出すんやで」
と言います。
「え?車が途切れて行けそうになったら出すんじゃないですか?」
と、私は、色んな意味で驚き、その言葉がすごく、その時の私にとって衝撃で今でも鮮明に思い出せるのですが、部長は、
運転する人にとって一番困るのは、この車が何をしたいのかが分からない、ということなのだ、と教えてくれます。
何をしたいかが分からないから、意図がよめずに、ぶつかったりもするのだと。
ハンググライダーも同じ、空中で意思疎通がとれないときに、どっちに曲がるかわからないグライダーが前にいたら、どっちに曲がっていいかわからなくて、正面衝突したりするやろ、と。
それは時にお互いの命にかかわるくらいのもので、
だから、「自分がどうしたいかを相手に伝える」のが大切なのだと。
それが私にとって衝撃でした。
今まで私は、自分の意志を相手に伝えないことが、
相手の為になる、喜ばれる、丸く収まる、というふうに考えていました。
自分が我慢しさえすれば、自分が周りにあわせていさえすれば、その場が丸く収まって、平穏になっていく。
相手のやりたいことを大事にしたり優先すれば、相手は嬉しくなって、例えばどこかに遊びにいくことも、どこに行く?という話が出て、その人の行きたいところに行けたなら、その人は楽しいよね、と。
父があらぬことで怒っていても、弁解しようものなら火に油だから、黙っていた方がいい、と、ただ謝ったり。
そうこうしているうちに、自分はどうしたいか、ということは分からなくなっていったり、誰かのためにではなくただの自己防衛で、嘘の笑顔を貼り付けたような人になっていってしまいましたが
それでも、言わない方がいい、自分の意見を言わないことの方が、うまくいく。と思っていました。
だけど、言わないと分からない。
言わないと、時にそれは命にかかわる大事故にもなる・・・・
そういうこともあるんだと、そんな考え方を教えてもらって、私はパーンとほっぺたを殴られたような衝撃におそわれました。
そして、それと同時に、私も、実はそうしたい、自分の気持ちを正直に言える人になりたい、と想っていたことに気づきます。
その部長を尊敬できたのは、その人は、周りにどう思われようが思われまいが、自分の意見をどんな時も正直に言えるような人だったからでした。
その意見で時に恥をかくようなこともあるのではないか・・・と私は思い、私だったらそれは言えない・・・と思い黙っていたり、わからないことがあっても分かりませんといえずに黙っていることもあった。
けれどもその人は、わからないことは、わかりません。
と正直に言い、ハンググライダーの師匠から、まったくお前は!と怒られることすら、「ダメな弟子ほどかわいい」というTシャツを着ていた師匠から愛されていた人でした。
この正直に生きる姿に、私は憧れ、私もこうなりたいと想いました。
その数年後・・・
私はこの部長から学んだことを、今の先生である、山籠もり竹川さんと出会ったときに、実践しました。
竹川さんと出会ったとき、竹川さんから、悩みがありましたらなんでも相談ください、と言ってもらった。でも、今までの私だったら、こんな長文を送り付けたら迷惑かもしれないな・・・と思い、伝える事を辞めていたかもしれない。
もしくは、伝えたとしても、正直に自分の気持ちをさらけ出して伝えることはなかったかもしれない。
そうしたら、今の私はありませんでした。
自分が正直に開示した、「本当は小説家になりたかった」という言葉に対して、あの時もらった竹川さんの、「好きな事やりましょうです!」という言葉から、好きな事を仕事にする人生がはじまったけれども・・・
同じ言葉をいただいていたとしても、小説家という、途方もない夢だと伝えずに、竹川さんからその言葉を受け取ったとしたら、「でもどうせ小説家だと無理だと言うんでしょ?」
みたいなひねくれた自分が出ていたと想います。
だけど、正直に持てる気持ちの全てで、あの日部長が教えてくれたように伝えたこと、自分の意志を伝えること。
それによって人生が変わりました。
自分を我慢して、周りにあわせて、当たり障りなく出てくる言葉や表現ではなく。
正直に心の底から、私はこうしたい。こういうことをやっていきたいと、自分の想いや意志を伝えることの大切さ。
それが、人生を変えていく。
運転からの気づきと学びでした。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
自分にしかできない魔法を探しに
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