さんぽ、ことだま、図書館、あの日

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こんばんは、千聖です。いつもブログに遊びに来て下さって、ありがとうございます。

今日は私のぐだぐだ日常です。

 

用事があって、久しぶりにお昼に外へ出ました。

思いのほか温かくて、コートを着ていたら、公園でぽかぽか眠れそうな陽気です。

露天風呂で熱いお風呂につかりながら、冷たい風に当たるようなここちよさ。

 

いつもなら、すぐに家に引きこもりに戻るけれど、あまりにも心地よかったので、どういうわけか図書館に行きました。

タイトルばかり気になった

前は、どんな本がいいかなって純粋にわくわくしながら探していたけれど、久しぶりの図書館はなんだかへん。

なにがへんって、本の中身よりタイトルが気になってしかたないんです。

 

なぜかというと、タイトルはキャッチコピーだとか、コピーライティング目線で見てしまったからです。

「壺の町」「風の~~」「〇〇手帖」「路(みち)」

 

いやあ、小説の棚は、美しい日本語の宝庫です。

自分にとってのエモーショナルフレーズが、手に取るようにわかる。「あの日」とか「きっと」とか。そういうのも好き。

いろんな漢字、いろんなことば

あなたは文章を書くとき、漢字のこだわりってありますか?

私が特にこだわっているのは、「思い」と「想い」

思いは、思うとか。思い出とか。

想いは、自分の気持ち。特に心がこもっている時に、「想い」を使っています。

 

逆にひらがなにしたりとか。人を、あえて「ひと」って書いてみるだけでも、だいぶ文章から受けるイメージって違いますよね。

おもうひと。

思う人

想う人

想うひと

おもうヒト

おもふひと

 

あーー日本語うつくしすぎー。

 

こう考えると、日本語でブログをつくるって、空にまたたく星くらい数え切れないほどの可能性に満ちている気がするのです。

ひとつひとつの言葉を、漢字にするか、ひらがなにするか、カタカナにするか。顔文字をつけるか、絵文字にするか。!!とか、??とか。

 

数えきれないほどのくみあわせから、私たちは、言葉をえらぶ。どれが正しいとか、悪いとかじゃなくて。

おくりがなも、正式にはこれ、というものはあるけれど、それすらも違いの味になる。

 

おばあちゃんからの手紙を見ると、あれ、これ、送り仮名違うんじゃ、とか、この字は当て字なんじゃ、みたいな言葉がけっこうあるんです。

でもそれが、不思議と懐かしかったり、ここちよかったり。

おばあちゃんの書く手紙には、優しさで出来た文字が詰まってる。それを、なんとなく、感じる。

 

だから文法がはちゃめちゃでも、若者言葉でも、漢字だらけのかたっくるしい文章でも。それが自分の使いたいことばであれば、そこに想いが込められていれば。

それが正解だなって思うんです。

 

社会的にはそれが認められなくても。

ブログではどんな言葉だってよくて。むしろ、自分が好きな言葉のほうが、届いたり、伝わったり、響いたり。

 

それってなんて素敵なんだろうって。

なんて自由なんだろう。

 

会社では、社会では、そういうの、封印するみたいに、むりやり統一させるから。

きっとだんだん見えなくなるのかなとすら思えてくる。

 

平安時代に和歌を詠みあったみたいに。

私たちはもっと、自分のことばに、自分の持つ言魂に、誇りをもっていいのかも。

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梅が咲いてました。

 

 








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