会社を退職するきっかけ「会社という組織で働くことの意味」
ある日、完全に無気力で仕事をして、一日が終わろうとしていた時、上司に呼び出された。何かやらかしたのだろうか。
もはや何を言われても、動じない気分だった。動じないと言うよりも・・・・もう、なにもかもどうでもよかったのかもしれなかった。
しかし、だからといってその言葉まで受け入れられるわけではなかった。
「今月の長期休暇のことだけど」
「はい」
「あまりに業務に差支えがあるので、長期休暇は出勤してもらうことにしました」
・・・・?
一瞬何を言われたのか理解できなかった。
「わかったわね」
「は、はい・・・・・」
それだけ言い残し、鞄をつかんで、颯爽と帰っていく上司。上司の机の前には、呆けた私だけが取り残された。
特になんか、重大なことが起こったわけではなかった。
ただ、休みがなくなったという現実がつきつけられただけだった。
傍から見れば、きっと些細なことだったのだと思う。
そんなことで辞めるなんてと思われても、仕方がないかもしれない。
けれども、その出来事は、私にとっては、何かが切れるには十分だった。
その時に初めて知ったのだ。
私が、何のためにその会社にいたのか。
何のためにそこで働いていたのか。
仕事が好きだから?
給料がいいから?
働かなければ生活していけないから?
正社員にはもう為れないと思うから?
どれも違った。
休みが多いから。
ただ、それだけの理由で働いてたのだと、その時ようやく気が付いた。ただ、休みの為だけに、今まで何もかも我慢した。嫌いなのに、やってきた。何の目的もなく、ただ無気力で迷惑ばかりかけて。
それなのに。出した「居る理由」が、「休みが多いから」。
ただ、それだけだったなんて。
その問題の長期休暇のあと、私は上司に、退職届を提出した。
人生を変えた、浅はかで幼稚な決断
退職届はあまりにも唐突で、色んな仕事を投げ出した私は、先輩たちから呆れられた。最近の若者はという言葉が聞こえる気がする。幻聴なのか現実なのかは分からない。
私はその状況に耐え切れず、仕事の引き継ぎを終わらせて、人での足りない仕事場へ応援に行きたいと願い出た。人の足りない仕事場とは、「介護」の仕事のこと。年がら年中人が辞めていく上に、その時期はちょうど、インフルエンザが流行る時期。
職員がバッタバッタと休むとんでもなく忙しい時期だった。
私の届けはあっさり受理され、2年働いた仕事場には、突然行かなくて良くなる。
毎日高層ビルを見上げるたびに、胃のあたりが締め付けられていたというのに。
なんだ。
こんなにあっさりなんだ。こんなにあっさり、私は要らなくなる。こんなにあっさり。私がいなくても今まで通り回っていく。
こんなにあっさり違う景色を見る日が訪れる。
人生を変えるのは、こんなにも簡単だった。
退職届け、その後
介護の仕事は大変だけれど、今までも仕事柄何度も応援に来たことがあったし、私は好きだった。
だから最後の3ヶ月は、とても充実した日々だった。同じ会社でも、仕事によってこんなに違う。もちろん体力的にはきついけれど、それでもこんなに心から笑えるような仕事もあるんだと。
仕事を辞めても、介護の仕事は人手不足。仕事に困ることはないと思った。だから私は、もう小説を書けなくてもきっと、大丈夫とも思えた。
でも、しばらくたった時から、なぜだかまた書けるようになってきたのだ。
書きたいことが自然とあふれてきて、自由に真っ白な紙に私の想いが綴られていく
書いているだけでほんとに時間なんてどうでもいい。
ほんとに、幸せ
私はひたすら書いた。
ちょっとたどたどしくなっているけれど、それでもこんなに私の心は叫んでいた。
ああ、やっぱり私書くこと好きなんだな
諦めたくない
心の底からそう思った。そう思えたことは果てしない喜びだった。
もう二度と、この気持ちを、この想いを、この書きたいという、
大好きだと言うこの気持ちを手放したくない。
毎日毎日書き続けていたい。
ほんとうに、最初はただそれだけで良かったはずだった。
叶わないと思っていた。それは私にだって分かっていた。
でも、せめて書くことを、好きでいたままでいたかった。好きなことを好きなままでいたかった。
細々と書き続けて、夢を見ていられるのならば、それだけでよかったはずだったのに。
でも、それすら叶えられないならば。
変えるしかない。
それがきっかけで、
探し出した方法が、インターネットビジネス、
アフィリエイトの世界だったのです。
自分にしかできない魔法を探しに
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