人との距離に傷ついても、ただそこにいるだけで満たされていく場所 ~夢降る隠れ処にて

人との距離感は、いつも、むずかしい。
近づけば傷付いて、
遠くても、さみしい・・・。
そんな距離感が、溶けていくように、自然体になったような―――そんな午後でした。
茨城、夢降る隠れ処にて・・・
今回、夢降る隠れ処に訪れてくださった方は、竹川さん・リョウさん・私を入れて、6名の方でした。
むかしは、6人という人数だと、私自身も、ものすごく緊張してしまうし、みんな何か持ち帰れているかな、大丈夫かな、あるいは、こういうことを言ってしまったけれども大丈夫かな、とか、どう思われたかな、
というので、いらないところに気を配って、胃が痛くなったりして、帰ったら、ぐったりして寝るみたいな感じでした。
それでも、私は一番、直接会う「未来型の場」が好きで、この場こそが一番、人生のターニングポイントになるのも、身に染みて知っていて、その瞬間に立ち会えることが、誇りでもあります。
だから、嫌だとか、やりたくないとか、そういう感覚じゃないけれど・・・ただ、変なところに力が入ってしまって、ものすごく疲れる、というのは私自身の課題でもあって。
でも徐々に、竹川さんが勝手にしゃべるから、とか、竹川さんがしゃべらなくても、途中で感じたけれども、場が導いてくれる、というのが、この10年で学んできた重りみたいな感じになってくれて、私はなにもしゃべらなくていい、あとは場に任せる、みたいな感じになってから、その感覚はすごくやわらいできました。
ただ、複数人になると、それぞれの持つ温度や心の深度だったりとか、違うものを持ち寄ってひとつの場を作る。それがとても美しいけれども、私自身もそうだけれども、繊細な方だったりすると、いろんなことが気になってしまったりします。
そして、さらに私は、本当はそうじゃないかもしれないのに、余計な行間を読んで、もしかして、こうかな、とか考えて、気になりが気になりを呼ぶ、みたいな二重らせんになってしまう・・・汗
というのが、過去の私のよくある在り方でした。
でもそれが、今回は本当に不思議で
はじまりから、ずっこけかけたのですが、待ち合わせ場所の神社への道が、なぜか通行止めになってしまい、予定通り集まることができませんでした。
でも、なんとか合流することができ、そのころには、通行止めの規制も解除されていて(マラソン大会の日でした)、神社におまいりにいき・・・
なぜかいつもは、ゆっくり歩く竹川さんが、雷のごとくどんどん先に行ってお参りしはじめてしまう・・・
っていうところからはじまって、笑っちゃったのですが、どうやら竹川さんは、海の見える鳥居がはやく見たくてうずうずしていたみたいです。
それをやっていると、お腹が空いてきて、リョウさんがお腹いっぱい食べられるパスタのお店に連れていってくださって、お腹いっぱいで眠くなってきたなあ
くらいな感じになりながら、夢降る隠れ処へ・・・
夢降る隠れ処は、来てくださった方が
「呼吸が楽」
「こういう場を作りたい」
「まっくろくろすけいますよね!」
と言ってくださる場所なのですが、本当に小トトロがふと、そのへんから歩いてきそうで、畑があって、縁側があって、キウイがなっていたり、柿が実っていたり・・・
そんな古民家的な懐かしい昭和の家のなかで、みんなで机を囲んで・・・
外から持ち帰った寒さのなかから、ゆっくりエアコンと場があたたまってくると同時に、話が深まっていって・・・・リョウさんがときどき、ツボにはいったように爆笑してて、竹川さんはのんきにお菓子ボリボリ食べていました笑
そういう場だから、話すときも、そこに居ることも、本当になんていうか、
ただ、そこに居るだけでいい・・・
というのを、息をするように感じられる・・・・
しゃべらなくても
はなしても
お菓子を食べていても
ただ、そこにいることが、自然。
人との心の距離感、こう言ったら、どう思われるか、傷つけてしまわないか、踏み込み過ぎていないか・・・
いつも気を張っているバリアみたいなもの、そういうものが溶けていって、それぞれの魅力の違いが、ひとつに重なって響き合うみたいな、そんな感じの場になったのです。
そういう場だと、本当に息が深く吸える・・・
前回夢降る隠れ処での私も、何も考えずにただ楽しんでいただけだったけれど
今回はますますそうだった・・・私はただ、そこに空気みたいに居て、その場を静かに観測しているだけ・・・。
でも、それだけで、みなさんに、幸せと、豊かさが満ちていくのを、すごく感じていました。
はなれると薄れてしまうけれども
家に帰ったら、現実が待っている。シンデレラみたいに。
でも、そういう経験をすると、日常もすこしずつ、変わっていくな・・と感じていて、私自身も本当にそうでした。
庭の仕事をしていて、初日から、初対面の寡黙な40年の大ベテランさんの運転する車の助手席に乗り、いきなり片道2時間かかる現場に放り込まれたのですが・・・こういうような経験をすると、無理に話さなくていい、と思える。
ただ、そこに存在しているだけでいい。
そう思っていると、寡黙な方なのに、向こうから嬉しそうに話しかけてくださったりすることも経験しました。
むかしの私なら、無理に話しちゃって、いきなりプライベートの話題につっこみすぎて、嫌な顔をされてしまう・・・なんてこともあったから滝汗
でも、ただ、自分は自分で在ればいい。
でも、自分というものが、どこか分からない。
だけれども、そのかけらを、この場所では、心が拾って持ち帰っていく。
そのかけらを畑にまくように、日常で少しずつ、芽吹き、育っていく。
夢降る隠れ処での未来型は、そんな時間だったな・・・と想います。
最後に・・・この場所について、来てくださった方からのメッセージを
「自然とも繋がれるし、その場所を大事にしていた人がいる。愛情みたいなのがのこっていて、塞いでいる人、愛情を受け取り拒否していたひとたちも、あの場所に行ったらこころが開くと思います。」
こんな場所に、あなたも、そっと、ひたりにきてくださいね。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
千聖より
今回の「時」を記事にしてくださった方より

心の奥の灯りをそっと想い出す、小さな隠れ家。

もう同じ生き方ではいられない… そう静かに感じはじめているあなたへ
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