忘れられない夏の思い出
空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です~!
今日はただの日記です!!
だんだん涼しくなってきて、秋が近付いているのかな・・・と思う今日この頃です。今年の夏はとても厳しく、刺さるような暑さで・・・でも、梅雨も長かったので、とても短い夏だったなあと思います。
暑さが和らぎ、空気を涼しく感じてくると、とてつもない切なさみたいなものに襲われます。
それは、たぶん、夏が終わったら、夏休みが終わってしまうから・・・そんな、子供のころの名残のような想いなのだと思います。
いつまでも夏が終わらないでいてくれたらいいのに。
暮れていく夕焼けを見ながら・・・終わっていく夏休みを、寂しく思ったなあと思います。
あなたは、今年、どんな夏を過ごしましたか?
私の夏はこんな感じでした。
地元宮崎の行きつけの川です!
この川で、父や弟や妹や犬や・・・離婚して家を出ていった母のいなくなった、でも、新しい家族で、昔のように遊びに行きました。
30度以上ある真夏日なのに、水の中はとてつもなく冷たく。
夏の暑い日にお墓参りにいって、くみ上げた井戸水が、ひんやりした時のような冷たさです。
飛び込んだ川の中は、静かで、泡の音、水の流れる音しか聞こえない・・・
世界にまるで自分だけしかいないような、ただその音だけに耳を澄ませられる、贅沢な引きこもり場所。
途中で夕立が降ってきました。
雨がまるで温水シャワーのように感じられて、雨が岩肌の藻の上を雫となって流れていくのを、眺めていました。
雨に打たれてながら景色を眺めていると、川の冷たさと雨の温かさの温度差のためか、水面に、霧が発生してきました。
まるで、温泉で、湯気がたちのぼっているような風景が、一面に広がり。
その幻想的な風景をみて、やっぱりいいなあ、変わらないなあ、この場所は・・・と思ったのでした。
高校生くらいのころ、私は地元の宮崎が嫌いでした。
宮崎は田舎だし、ださい、みたいなのが、高校生の頃のイケイケ軍団の常識でした。
私も、そんな意見を真に受けて、大学受験の下調べで初めて父と東京に行った時、周りの人が私のことを田舎者だと思って笑っているような気がして、すごく肩身が狭かったことを覚えています。
かっこつけて、背伸びして、普段はしないイヤリングなんかしていったりして。
今思い出すと、恥ずかしい思い出ですが・・・!
だから、宮崎では宮崎弁じゃなくて、標準語に近い言葉をしゃべり、みんなから千聖さんは標準語だよね~
と言われていたのが、自慢だったりしたのですが・・・
でも、いざ大学生になり、宮崎を出た場所に住んでみたら。
「なんで宮崎弁しゃべらへんの?方言、かわいいのに」
そんなふうに言われて、え?!そうなの?!
と思ったのと同時に、なんだか嬉しかったのを覚えています。
嫌いだ、嫌いだと、あんな封鎖的で閉鎖的で、
男尊女卑みたいな考え方で、亭主関白が伝統みたいな場所、大嫌い!!!
そう思っていたけれど。
でもいざ外に出てみると、
それが伝統だったわけでもなく、ただ、私の周りがその傾向が強かっただけであって。
田舎者だとバカにする人もいないし、宮崎は、古事記好きには憧れの聖地なんですよ!と教えて下さる方にも出会ったり。
あの場所は本当に美しく、穏やかでつまらなく感じるような平凡な毎日にこそ、本当の幸せがあったのだと。
一番、宮崎を、そしてその場所で生まれ育った自分自身を、認めていなかったのは、ほかならぬ私だったのだと、気付いたのでした。
そして、亭主関白の代表みたいな父も、母との離婚をきっかけに、子供たちの話や生き方を、尊重してくれるようになりました。
私も、今は、父の厳格さの中にも、家族を守らなければいけない責任感やプレッシャーがあったことや、好きなことよりも安定したことをしろとかたくなに言っていた気持ちも・・・分かるようになってきました。
それでも、やっぱり私は好きなことは仕事にした方がいいと言うけれど。
でも、いまは、私は、宮崎が、あの忘れられない時間を過ごした夏の日が、大好きだと、胸をはって、そう言います。
あなたのほんとうは大切にしたいものが、大切に出来る、夏のおわりでありますように。
お読みいただきまして、ありがとうございました。
追伸
宮崎の川は、本当にきれいなので、宮崎に遊びに来た際にはぜひ、行って頂きたいなあと思います。
宮崎市内から、綾のつり橋を目指していくと、綾のつり橋に近づくにつれ、どこでも泳げそうな感じになってきます!!ぜひあなたのお気に入りスポットを探してみてくださいね。
自分にしかできない魔法を探しに
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