矛盾と悩みがもたらすもの ~チ。地球の運動についての名言からの考察と感想

空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です。

「チ。――地球の運動について――」のアニメを見終わりました。

終わり方について賛否両論あるようなのですが、私としては、最後の、矛盾の話がすごく好きだったなああああ、というような感じがあったので、矛盾について考えてみたいと想います。

 

人は、矛盾によって苦しむ、だけど・・・

私もいま、問いかけている矛盾があります。

どんな矛盾かというと、天命とお金みたいな感じです。

 

天命で生きるのなら、それこそ天に任せるような感じで、お金について考えなくていいはず。

お金を稼ぐを信念としていたドゥラカが、死んだら全部終わりだ、お金は持っていけない、というようなことを言っていたように、天命で生きるのなら、残るのは想いだ。

 

でも、現実世界で生きるのなら、お金について考えることも大事なわけで、たとえば現実問題、明日から食べられるものがないとする。それで子供たちが死ぬとする、それでもそれが天命なら仕方ない、と言い切れるのかというと、それが自分だけならまだしも、子供がそれでご飯を食べられなくて死ぬのを、黙って見てろというのが天命なのか?

それが天命なのだとしたら、そんな天命くそくらえじゃない?というところを問い始めるわけなのです。

 

 

という矛盾が存在してて、どちらかを語ろうとするとどちらかに傾いて、どちらかが排除されてしまう。

 

こういう矛盾って考えているとき、苦しいですよね。

この矛盾があるから、あの先に行けない、と感じる。

 

だから、どちらか1つを、選ぼうとする。どちらか1つに、答えを定めようとする。

そして日によってはAという方向になるし、でもまた日によってはBという感覚になって、その間をフラフラするのです。

そのフラフラ具合が、もう感情のジェットコースターのようで、苦しいし、辛いし、早く誰か答えを教えてくれ、みたいな感じになるのです。

 

でも、たぶん、どちらにも答えはない

そこでどちらかに決められればいいけれども、そもそも決められるような問題であるならば、こんなに悩んでないし、苦しくもないし、だから、決められないから悩んでいるわけであって・・・

 

でも、もしも・・・・最後、アルベルトのように、「疑う」ことと「信じる」こと、そのどちらも否定することなく、どちらも大切なものだとして、両立させることができるのだとしたら・・・・?

 

そういう思考に至った時、人は、突然輝く。

まるで、虹がぱっと花火のように輝くようなそんな光景で。

 

そして、どこからともなく、泣きそうになるくらいの、強烈な想いが湧き上がってきて、それに突き動かされるように、生きていけるようになる・・・

ラストでまさに、アルベルトがそうであったように。

 

 

以前、山籠もり先生、竹川さんと話した1時間ほどで、ものすごくビフォーアフターした方がいらっしゃいます。

 

その方は、お会いしたとき、漫画のどんより、という表現が見えそうなくらいの感じで、現れました。

それもそのはず、その方のお子さんは不登校になられていて、お子さんの不登校に対して、

 

「不登校はダメ、絶対に登校させるべき」

「無理して登校しなくていいのではないか」

 

その2つの間で揺れ動いて、苦しんでいらっしゃいました。

旦那さんや、世間一般的には、不登校なんてあってはならない。という、でも、お子さんの様子を見ていたら、無理して登校する方がつらそうなのだと・・・

 

その2つの矛盾が、真っ向から対立して存在していて、お前の育て方が悪いんじゃないかとも旦那さんに言われたり、

一人で抱え込んでしまってなんとかしようとしていたその方は、旦那さんに内緒で借金を負っていて、さらにもう1人のお子さんまで不登校になっていき、もう絶望の状況でした。

 

でもそんなとき、山籠もり竹川さんが言ったのは

 

「不登校いいじゃないですか」

 

という言葉でした。

だって、不登校でも、引きこもって生きていける道があるから(私みたいに)、別に学校に無理して行かなくていいんじゃないですか。と。

私も山に籠ってるし、いま店長やっている人は中卒ですよとかも。

 

その瞬間、その方の背負っていたものが、ぶわーっと吹き飛び、光が飛び散ったのが見えました。

私はオーラとかそういうものは全然見えないタイプだったのですが、そのときはもう、本当にはっきり見えてしまいました。

 

そのあとから彼女はものすごい勢いで借金を完済し、そして、2人のお子さんは、不登校でいい、となってから、徐々に家を出たりするようになり、ひとりで美容室に行けるようになったり、さらにアルバイトからはじめて、自立していったのです。

 

その方の中で、「登校すること」と「不登校であること」

その矛盾が、一致した瞬間だったのだと・・・あとから考えて、そう想います。

 

親としては、なぜ登校させたいのか。

それは、将来が心配だから。登校しないで不登校のままでいると、勉強ができない、人とのかかわりができない、つまり将来働けない、仕事ができない、=死

みたいな図式が、一気に出来上がってしまって、だから登校させたいのです。ある種の、理性。

 

でも、そんな辛そうな状況で、無理やり学校に行くことがいいとも思えないという、感情面、ある種の感性。

 

だけれども、「不登校のままで、将来も憂いなくこの子らしく生きていける」

という感じで、どちらも融合できるような、カオスが一致するような、そういう思考にたどり着き

 

ああそうか・・・!!!

 

と、そう思ったとき・・・人は、世界の美しさに、気付いていけるような気がするのです。

大嫌いだった朝日を美しいと想えた、怖かった空を美しいと想えた、彼らのように。

 

どちらかしかないのだと、

どちらかしか選べないのだと、そう思っていたからきっと苦しかった。

それは、そこに、世界の狭さだったり、醜さだったり、不自由だったり、義務、執着、恐れ、不安、そういうものを感じるから。

 

いつか、親に言われた、好きな事を仕事にするなんて安定しないからやめろ。

そう言われて苦しかったように

 

でも、心配してくれる、父の気持ちだって、分かっていた。

だから、親不孝な自分を選ぶか、自分の自由意志を捨てて我慢するか、そのどちらかしかないと思って苦しかった。

 

でも、山籠もり竹川さんは、そのどちらも大事にしていいと言ってくれた。

好きな事を仕事にすることが、本当の親孝行だと言ってくれた。

好きな仕事で、経済的にも精神的にも自立できるみちを伝えてくれました。

 

そして、それはいま、私の信念であり、それを伝えることが私の生きがいになった。

 

それをずっとずっと、問い続けている。

 

進めば進むほど、また新たな、矛盾と出会う。

天命とお金もそのひとつで、天命的な感覚で仕事をしながらお金についても論じたい・・・けど、お金に傾きすぎると、ガンガンな感じの話になって、天命的な感じ、天の川みたいな感じじゃなくなるのが・・

なんか、うーん、

 

そう、「美しくない」のでして

 

だから、このバランス、配合、ブレンド具合に、いまうんうん唸っています。はげそうです!!

 

そんなふうに、苦しんでいる、この悩みはきっと一生、終わらない。

突き詰めても突き詰めても、ああなんか見えたと思っても、また、悩み続ける。

 

でも

 

「迷いの中に倫理がある」

 

その言葉のように

迷いの中に本当にやりたかったことがある。

本当に伝えたかったことがある。

 

それが、いつの間にか、このために生きていたのだと感じられるくらいの、感動になる。

 

だから、今日もまた、悩んでいこうと

一緒に問い続けていきたいと

 

そう、想います。

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

千聖

 

 

 

 








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