ぶっ壊していい、と言われた日

以前、山籠もり先生、竹川さんが、お金がなくて苦しい、食べるために仕事をするライスワークのひとと、やりがいや生きがい、天命の職という感覚で幸せな仕事をしているライフワークの人は、考え方が同じなんだよ。

 

と言っていたことがあります。

私はこの話にものすごく衝撃を受けて、え?!同じなの?!と思って、じゃあ何が違うんですか・・・!!と前のめりになって話を聴いたのですが・・・・(そのつづきは、こちらで語っています

それがお金だけじゃなくて、ふと腑に落ちたことがあって。

ライスワークのときに思っていた夢と、ライフワークの時に念う(おもう)夢は、同じなんだということです。

 

一度、夢と違う働き方を天職だと思った

私は小説家を目指していました。

でも、①ライスワーク→②ライクワーク→③ライフワークの、「②ライクワーク」になったとき、いわゆるな小説家というのではなくて、はたからみたら、小説家ではないことを仕事にしていたように見えていたと思います。

それは、言葉にすれば、編集者や、(文章での)コンサルタントみたいな方が近かったから。

 

ただ、私にとっては、もちろんそれは定義としては繋がっていて

私にとっての小説家の定義は「人の人生を良い方向に変えられる物語を書く」だったから。

 

小説という妄想の中ではなく、現実の人の人生という物語に携わることが出来るお仕事。

それは、私にとっては、あの頃見た小説家というようないわゆるな小説家を目指すことよりも、もっともっと、叫び出したくなるくらいの仕事に出会ったのです。

 

だから私は小説家だったはずでした、いつの時も。

 

でも、あるとき、

きっかけは、久しぶりに、新人賞みたいなものを見つけて、どうしてもそれに応募しないといけないような気がしたことでした。

 

でももう、その時私は、いわゆるな小説を8年くらい書いてなかった。

アイディアもない、何も降ってこない、筆ものらない、絶対に無理だと思って、いやいや、そんな応募なんて必要ないよ、なにやってんの?他にすることあるだろ、と最初の数カ月は自分に言い訳したまま時が過ぎ

でも、これに応募しないとなにかがやばい気がして、締め切り最後の1ヵ月で、死にそうになりながらどうにかこうにか、1作つくりあげました。

 

でも、その作品はほんとに、ちょっともう、なんていうか、個人的には、ひいいいいという仕上がりになって、全然納得がいかないまま、もうほんとに締め切り数十分前に、なんとかかんとか出すことになりました。

 

結果は、箸にも棒にも引っかからない、落選。

毎回毎回、何度応募しても落選の手紙ばかりが積み重なった、高校生の頃の苦い想い出が蘇ってきました。

 

でも、私にとって大事だったのはその結果じゃなかった。

 

それは納得のいかない作品だったけれども、その時にもがいた感覚、いままで竹川さんから学んできた未来型マーケティングの全てを総動員して、この作品を誰のために届けたいかを必死に考えて書いた結果、

かつて私が書いた小説たちは、ただ、自分の自己満足のために書いていたけれども、今回、はじめて、人のために小説を書く、という感覚にたどり着いた、それができるかたちがなんとなく・・・ぼんやり見えたのです。

 

そして、そのあと生まれた作品を、大切なお客さんにお届けしたところ・・・

感動した、泣きました、これは私だと思った・・・・と

 

そんなふうにおっしゃっていただいたのです。

新海誠監督が、すずめの戸締まりを

「私が鈴芽だ」というふうに思ってもらえる“奇跡”みたいなものも、ちょっと期待しながら作っていましたね

とインタビューで伝えていましたが、それは、作り手にとっては、本当に最高の奇跡だと思う。

一番の、何よりもの、書いてよかったと想える瞬間。

 

それは、私がかつて、小説家を目指すきっかけとなった小説が、私に届けてくれた想いだったから。

 

そしてそこから紆余曲折を経て、そう考えるのなら・・・

 

ああそうか、自分のブログも小説だったんだと気付いたのです。

自分のブログの記事も、メルマガも、セールスレターと呼ばれるものも、すべてが小説であるのだと。小説という感覚で、このブログも作っていいのだと・・・

在り方や定義だけじゃない、私の書いているすべてが、本当に、小説として在ることができるのだと・・・

 

より深く、あのとき、最初に目指していた小説家が、一周回って、あの時夢を追いかけて、毎日毎日もがいていた、高校生の自分に、小説書いてるよ、と言えるような。

人に、お仕事は何をされているんですか、と聴かれたら、何かの説明を入れることなく、小説を書いてます。と言えるような、そんな感覚にたどり着いた。

 

ライスワークだったころ、書いた小説を、分割してブログにあげていたけれども、その時と全く同じ感覚で、だけれども、それ以上に深く、現実と妄想が乖離するのではなく、現実と妄想が、同じ世界で同居しながら書く小説、それが私のブログなんだと・・

 

 

そう思ったとき・・・・

 

自分のブログの違和感に気付いてしまった。

その妄想の世界に、このブログは、ひたり切れていないのだと気付いてしまったのです。

 

よく、カフェとかに行くと分かるのですが、良いカフェだし、ファンもいるけれども、お客さんの波に乗り切れてないようなカフェって、ちょっとどこか、世界観のほつれがあるのですね。

 

たとえば、ゆっくりできる雰囲気を作った世界観なのだけれども、どこか店員さんがあわただしかったり

お洒落な雰囲気を出したカフェの片隅に、段ボールがあるとか

 

 

そのズレを、マーケティングなんて知らなくても、私たちは、肌で感じて、違和感をもつ。

そのあたりの違和感を持つことなく、徹底的にこだわりぬいて、ひとつの世界として作り上げたもののひとつが、ディズニーランドですが、その領域に行けてるとも思ってなかったけれども、行こうとしてなかったことにも気づいたような・・・

 

その世界観のほつれを、はっきりと自覚してしまったのです。

 

でも、怖かった

だけれども、自覚したけれども・・・・そこに振り切ることが、しばらく、できませんでした。

やっても、中途半端になってた。

 

なぜなら・・・、それに思い切って振り切ってしまうと、今までの全てを壊してしまうような気がしたからです。

いままで、大事に積み重ねてきたもの、いままでそこにあったお客さんたちとの想い出、たくさんの星のようなきらめきの瞬間たち、それが、全部、なくなってしまう気がして、本当に怖かった。

もう取り返しのつかないくらい、めちゃくちゃになってしまう気がしたのです。

 

そして実際、その分岐点も、過去にありました。

 

以前、自分のブログタイトルを変えてしまいたくなったときがあります。

そのとき、竹川さんは、何も言わなかったけれども、哀しい顔をしていた。それで、私も想い留まったのですが、そのとき、変えてはいけないものがあることに気付きました。

1000年続いたあぶり餅屋さんが、あぶり餅を作ることを決してやめないように。

 

そして、その時はたしかに、そういうときだったのです。

なぜなら、あの時の私は、自分のブログもいままでも、全部なかったことにして、作り変えたい。くらいな感覚だったから。

 

そのときの私が、ブログを作り変えていたのだとしたら、本当にめちゃくちゃになっていたと思います。

軸から、作り変えてしまった感じ。

軸を、捨ててしまった感じ。

 

 

でも、竹川さんは、今の私には、こういいました。

 

 

「ぶっ壊していい。ぶっ壊したら、ぶっ壊れない」

 

 

泣きました。

 

たしかに、今の私は、あの時と考えていることが真逆で

いまは、この積み重ねたものを、出会った想いたちを、なくしたいなんて全然思わない。むしろそれが美しいからこそ、もっと届けたいし、もっと深めていきたいし、もっと奥の方から伝えたいのです。

 

でも、変えることは、それをないがしろにするような気がして怖かった。

捨てて、違う世界に行ってしまうような気がして。だから、全力で引き留める心の声がいた。

 

でも、そうじゃない、

 

その想いを軸を持って変えていくのなら、何やったって自由だよ、と。

 

竹川さんはそう、背中を押してくれました。

 

 

世界観を深める難しさと、悔しさと、やりがいに、ものすごく魂揺さぶられた瞬間でした。

 

私自身も、まだまだその感覚を、言葉にならないその世界を、言葉にしようともがきまくっている最中ですが、この感覚が、進みたいけれども進めない方の、参考になりましたら、と想い、書いてみました。

 

お読みいただきまして、ありがとうございます。

 

千聖

 

 

 

 

 

 








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