今日見ている世界は、明日違う世界 ~世界線移動のお話
空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です。
私は、この世界は、RPGみたいな感覚で、徐々にレベルがあがっていくと、昨日までと同じ場所、いつもの日常も、見えている世界が違うものに見えたり、出会う人が変わったりすると感じています。
RPGでは、レベルが上がっていくと、いままで行けなかった場所に行くことができますよね。
それと同じようなことが、人生においても起こっている、と。
ただ、人生においては、たとえばレベルがあがっても、昨日と違う場所に行く今日になるわけではないから、分かりづらいけれど
でも、昨日まで嫌だな、と思っていた人が、急に可愛く見えてきたり、なんだ、意外といい人だな、というふうに見える、みたいなことってありますよね。
それがそういう感覚なのだと。
そういう感覚がいくつか積み重なって、すごく人生が豊かで、和らぎで、やりがいの感覚になって、ニヤニヤするとき、それを私は、世界線を移動した、と考えています。
(アニメ、シュタインズゲートをご覧になられた方ならわかりやすいのですが、あのアニメの世界線移動の感覚がまさに現実に起きているというイメージです)
RPGで、新しいステージへ行くように、昨日までと同じ場所や仕事でも、新しい場所、違う場所を訪れていて、また新しい課題が始まり、新しい世界線を目指す。
人生はそういうことの繰り返しだな、と感じています。
昔はそういうのは、ゲームの世界にしかないと思っていて、現実世界は、平凡で異世界の扉なんてなくって、なので、自分の人生を生きるよりも、ゲームをする方が楽しかった。
小説を読めば、終わった後に、その世界に行けない面白みのない現実に取り残されている自分に気づいて虚無感になったりしていました。
でもいまは、ゲームをするより現実の方がなによりも楽しい。
小説を読んでも取り残されたりしない。
それは、異世界は、他でもない、ずっとここにあったんだと、気づいたから。
そんな世界線の移動、異世界にいくとき
じゃあどんな感覚、どんな時に世界線移動できるのだろう。
というのを改めて考えてみると、私が10年間居る、私の先生でもある山籠もり竹川さんの未来型での時間はまさに、そういう感覚で、
そこでの気づきや、カオスな話を、日常に活かしていこうと考えると、ある時、ふと、あっ!!そういうことか!!となって、水を堰き止めている詰まりがとれて流れていくように、人生が動き出す…
というのが、私やお客さんの体験談からも、毎回の流れなのですね。
だから、その世界線移動のきっかけが、竹川さんとの時間から始まっている・・
と考えてみたとして、それでは、竹川さんと話す時間ってどういう構造になっているのだろうか、
と、竹川さんが私にしゃべってくださる話やお客さんに話している内容を聴きながら、客観的に分析してみました。
すると共通点があって、わかりやすくいうと、竹川さんの話は、丸バツ思考を、全部丸にする感じだったのです。
たとえば、就活とか面接とか、スーツで行くのが普通ですよね。
私も学生のころ、いろんな面接系のノウハウ本とかを読んではそう書いてあったので、みんなスーツで同じ髪型で同じ格好して行くなんてなんか気持ち悪いな。と思っていたけれど、それでも、そうしないと受からないんだ、と思ってそれに従った。
でも、竹川さんに、それが普通ですよね、と話すと、竹川さんは、「え?そうなの?」と言うところから始まります。
竹川さんが前にいたディスクユニオンという音楽会社では、むしろなんでみんなスーツなの?ライフスタイルがわかった方がいいじゃん、と思っていたそうです。
あと、履歴書に写真がなくて、急いで撮ってきます!と言って、撮ってきて、その場で手でちぎって貼ったひととか、経歴の欄に餅を運ぶ、というのしか書いてなかったのが面白かったから採用した、
とか、とにかく、「え??」
となるような話題ばかりが飛び出すのです。
そして、それでスーツじゃないからダメだろ、という社長は本物の社長じゃない、本物の社長は、スーツでも私服でもそこは問題じゃない、と。
いままで会った社長のなかで、一番すごいと思ったのはアキュフェーズという、オーディオにこだわり抜いた会社の社長なのだけれども、その人は会った時、用務員さんの格好をしてトイレ掃除をしていたひとで、その人が実は社長だった、と。
社長室で会ったときも、その用務員さんの格好でバケツを持って現れたから、この人は本物だと思った、と。
そして老舗と呼ばれる企業だったり本物の長続きする社長さんとかはそういう人ばかりだったよ、と。
むしろいわゆるな社長像で偉そうにしていた会社はそのあと業績が悪くなったり無くなったりしてしまっている、と。
そういうのを聴いていると、私が今まで常識だと思っていたことは、常識ではないのかもしれない、もっと違う角度から、見てもいいのかもしれない。と思い始めます。
私も、服装とか、見た目だけの礼にこだわる人のもとで働くのは合わなかった、その見た目だけの礼を尽くして、入ったのが前の会社で、そこでは自殺しようと思うほど仕事が嫌になってしまった。
そういうのに出会ったのは、全部自分が、そっちの違和感のある世界に合わせようとしていたからなんだ、と、感じたりとかですね。
だからつまり、そっちの世界しかないと思っていて、だから、そうしなければうまくいかないと思っていて、服装とか見た目だけの礼にこだわらない会社がある、という世界があることを信じていなかった、気づいていなかった。気づかなければ見えないのです。
だから、その、こうしなければならない、こうでなければうまくいかない。という○かバツかしかない視点だけだと、本当に行きたい世界線があることを知らずに生きていくことになる。
そういう選択肢はない、この世はあの会社みたいな仕事しかない、と思っていたから、じゃあ、もう仕事なんてしたくない、ご飯を食べるためにその仕事をする、その仕事をするために生きるしかないなら、何のために生きるのか、と思って死にたくなったのです。
ずっと魔物に怯えながら、魔物に大切な人を殺されるだけが、この世界のあり方だと主人公が思っていたのなら、それが、絶望です。
だけれども、その先に変えられる未来を見い出したから、主人公は、やがて勇者になる。
絶望はその状況そのものではない。
その先に、それ以上行く道がないと思うときが、絶望なのです。
だからこそ、丸バツ思考の先へゆく
そういう視点になっていく時間が、竹川さんの未来型の時間だなぁ、と。
行きたいのに行けない、八方塞がりに見えるそのみちに、え?地面の下に道があるじゃないですか、とか、空を飛んでいけばいいじゃないですか、とか、とにかくいつも変な角度からそんなことを言うのが竹川さんの未来型。
そしてそれを、え?空なんか飛べませんよ!
とか、穴を掘れっていうんですか?!みたいなことを思いながらも、よくわからないけどやってみたら、気づいたら異世界にきていた。
そういう感覚。
その時にみた景色が、もうほんとに、言葉にならないくらい感動する、この瞬間のために生きていたと感じる、この感覚を人に伝えずにはいられない。
この景色を一緒に見にいきましょうよ、と言いたくなる、だから、まだまだ死んでる場合じゃないって、やっぱり今日も、あの日の自分を引きとめるのです。
あなたの今見ている世界は、明日は違う世界かもしれません。
お読みいただきまして、ありがとうございます。
千聖より
自分にしかできない魔法を探しに
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