答えの出ない問いが本当の自分にアクセスする力をくれる ~8月オンライン交流会より

空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です!

今回は、夢の降るみち限定イベント、オンライン交流会からの気づきをお届けいたします。

 

今回はお悩みやご質問のテーマとしては色々あったのですが、その奥に流れていたテーマをひとつにまとめて言うとしたら「答えの出ない話や質問の会」だったことでした。

みなさんはどうされていますか、というような質問もいただいたりとか、今回は私に対しても質問していただいて、感じたところだったのですが、答えの出ない会話ってすごく面白いし、夢を叶えるためにも、めちゃくちゃ大事だなあと想った気づきがありました。

 

それで思い出したのですが、

私の入っていたハンググライダーサークルは、あちこちの山に飛びに行ったりするため、けっこうな確率で車中泊や、野宿とかをするようなサークルでして・・・

そんなサークルでは、夜の時間がとても自由な感じで、例えば鳥取砂丘とかにもエリアがあるのですが、夜中に、一升瓶を持って5・6人で夜の砂丘に入って、日本酒を飲みながら砂の上で語り合う、みたいなことをやっていたりしました。

 

私は口下手で、しゃべるのが苦手だったけれど、そのサークルは、大半の人が口下手で、なので私がたどたどしくしゃべっていても、聴いてくれているような場でした。

それがすごく居心地が良かったなあというのを想い出したのですが、その時も、しゃべっていた内容は、人生観みたいな、哲学的な問答のようなものでした。

 

それを朝まで徹夜で話すようなこともしばしば・・・

飽きるくらい、話しても話しても、まだ足りなくて、そしてだからといってどんちゃん騒ぐわけでもない・・・ただ静かに、ぽつりぽつりとつぶやいたり、誰もまったくしゃべらない、というような時間もある。

そういう時間にすごく、幸せを感じていました。

 

そしてその時間を過ごしたことで、気付いたもの。

それが、私らしさ、というようなものでした。

正確に言えば、私らしさ、というのは、言語化するのは難しく、今でも私らしさ、というのが何かを明確に言えるかというとそうでもないのですが・・・

ただ、なんていうか、ああ、自分ってこんなこと考えていたんだ、というような感覚とか、自分ってこういう感情があったんだ、というような気付きとかがすごくありました。

 

そして口にした言葉に対して、人からフィードバックをもらえることもあって、私が何気なくつぶやいた、「○○は、そののままでいいと思うよ」という言葉を、何年か越しに、あの言葉がよかったのだと、ずっと大事に持ってくれていた人もいて、そういうところが、良かったんだ・・・!

と気付いたり、自分の魅力を見つけたり、自分ってこういうふうに人に表現してもらえるんだ、というような気付きがたくさんありました。

 

 

なぜそういう事が起きるのか、

答えの出ない会話には、その人の価値観が大きく反映されるからだと想います。

 

例えば今回の交流会だと、「ユーモアがある人というとどんな人を思い浮べますか」という旨の質問をしてくださった方がいらっしゃって、この答えは千差万別で、芸人さんをあげる方もいらっしゃったら、自分以外の他の方みんな面白い、というのを答えてくださったり、私とかだと、「竹川さん」と答えてしまったり・・・笑

 

人によってユーモアの定義も、思い浮べる人も違う。

そこで思い浮べる人というのは、その人の考え方によるものですよね。私が竹川さんをユーモアのある人、というふうに答えたのは、私が全くテレビを見ないので、テレビの芸人さんとかを全然知らないというのがまずひとつで・・

ここから、テレビを見ない、という価値観だったりとかライフスタイルが見えますよね。

 

さらに、質問していただいて答えてはじめて気づいたのが、私が、「面白い人だなあ」と想う定義です。

 

竹川さんのほかに思い浮べたのが、ハンググライダーの師匠で、その2人に共通するのが、

「相手の人生のために、突拍子もないアイディアを伝えてくれたり、思いもよらなかった発想で伝えてくれるところ」で、つまり、私が考えるユーモアとは、人を笑わせることではなくて、突拍子もないカオス思考が出来る人のこと。

 

しかも自分勝手というのではなくて誰かの為に、相手の人生をよりよくするために、それが出来る人、というような感じのところ・・・

 

竹川さんで言えば、「時は未来から過去に向けて流れる」みたいなこととか、ハンググライダーの師匠で言えば、「謙遜は驕りやぞ」みたいな言葉とか。

その言葉を聴いた瞬間はそれをユーモアとは思わないはずなのに、質問していただいて、なんで竹川さんなんですかと聴いていただいたりして、お伝えするうちに、竹川さんや師匠を思い浮べ、そんな言葉をふと思い出し、ユーモアと定義した自分が出てきて

 

自分はこんなこと考えてたのか・・・!

 

と想いもよらなかった思考の自分にアクセスしたのを感じたのです。

 

これが、答えの出ないもの、答えのない質問のすごさと大事さだと想いました。

答えが出ない・答えがない、ということは、それを答えるとしたら、自分の中に答えを見い出そうとすることだから・・・答えはその人の中にある、という記事を書いたりもしましたが、

 

つまり本当の自分にアクセスできる、本当の自分に気付くことができる、ということでもあるな、と。

 

お寺とかで、禅問答みたいなことが行われたりしますが、禅問答をする意味ってもしかしてこれなんじゃないか・・・というのに気付きました。

 

さらに、そう考えると、例えば、

私が、ユーモアのある人になりたい、と思っていたとして、でも人を笑わせることなんて全然できない、だから、「私ってユーモアないんだよね・・」と落ち込んでいるとします。

憧れていたとしても、私なんてユーモアのある人になんかなれないよ・・・と思う。

 

だから諦めてしまいがちだけど・・・こういう定義とかを考えると、私が目指すユーモアは、その人にとって新しい視点を届けたりできるようなことだから・・・

それをユーモアをと表現するのであれば、竹川さんのカオスな言葉を私らしく伝えたりすることもまた、「ユーモアのある記事を書いている」というようなことになるなあ、と。

 

人を笑わせることができなかったとしても、ユーモアのある人になれるのです・・!!

 

しかも、それが、自分らしい仕事の在り方にも繋がっていく、というような感覚。

 

私には全然柔軟な思考とかはないし、突拍子の無いアイディアも出てこない。

だけれども、その魅力を持つ、竹川さんの言葉だったり考え方を広めることで、「ユーモアがある人になりたい」というその感覚のその先にある、もっと本質のところ

 

相手のために、突拍子もないアイディアを伝えてくれたり、思いもよらなかった発想で伝えてくれるところ

という定義で、相手の人生を変えることに携わっていきたい・・・!という夢は、叶えることができます。

 

この発想は、私自身が小説家の才能は無いと想ったけれども、編集者のポジションが本当にやりたいお仕事だったということ、その編集者で、小説家という夢を叶えた時と同じ思考の感覚です。

 

私が一番やりたかったのは、小説を書くことではなくて、人の人生を変えるような物語を書くことだった・・・

それが、今させていただいているような編集者というお仕事であれば、小説のように空想ではなくて、実際のリアルの人の人生を変えていくようなお手伝い、その人生が変わっていく物語の編集に携わらせていただくこと・・・

 

それは、私が目指した小説家といういわゆるのかたちよりも、もっとずっと、小説家でした。

 

 

そんなふうに、定義を深めていくことで、それを叶えていく手段が変わる・広がる。

だから、才能がないと諦めていたものも、叶えていくことができるようになります。

 

 

 

そういう感覚にも繋がった、答えの出ない、答えのない質問たちを問いかけ合える時間。

でもそれは、えー?その答え変じゃない?と誰かが言ったのだとしたら、その時間は生まれない。

 

だけどそんなことを言う人はいなくって、本当に温かく、励みになりました、という言葉だったり、嬉しい、という言葉だったり、思いもよらなかった答えも、受け取ってくださって、おかげさまでそういう気づきが生まれました。

 

そういう時間にしてくださった参加メンバーさんたちに、心よりお礼を申し上げます。

 

そしてまた、答えの出ない禅問答のような時間もまたぜひ、一緒に過ごせたらなと、その時間から、自分でも気づかなかった本当の自分に、アクセスする時を一緒に過ごせましたらと想います。

 

今月も本当にありがとうございました。

 

 

 








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