「謙遜は奢り」という雑な言葉からもらった引きこもるために大事なこととは

空飛ぶ引きこもりライターの千聖(ちさと)です!

 

 

自分には何もなくて・・

自分というものがわからなくて・・・

と言っていらっしゃったお客さんから、自分の本当にやりたかったことを発見したので、それに向かってやりたいというメールを頂きました。

 

それを読んでもう、

なんだか感動して泣けてきてしまいました。

 

この方はおそらく近いうちに、好きな仕事で、家に引きこもる生活を叶えると思います。

 

 

この人がこれを発見されるまでに何をやってきたのかというと、この人は、自分自身と向き合い、自分自身という人間を作った過去のつらかったことも含めて、それが自分だと受け止めたのです。

 

それがブログに何の関係があるかというと、

ブログというのは、

自分のことを好きだと言ってくれる人に向けて書くものです。

だから嫌いだと想う自分を受け入れることが、ブログの収益になっていくんですよー!だから書いていいんです!

 

というお話をしていきたいと思います。

自分と向き合うのは、とてもいやなことです・・・・

自分と向き合うと、自分が2つ以上に分裂しそうになるくらいさまざまなもやもやが心の中にはあります。

 

見たくない自分

でもそれが真実

 

こうでありたい、こうなりたいという理想像とは程遠いギャップ

 

だから、見たくないなあ、そんな自分消してしまいたいと思うことがたくさんあるかと思います。

 

でもそれも含めて自分なのだという、受け入れがたい事実もあります。

そこにほんとうは、それは良いも悪いもなかったのですね。

 

なぜなら全てのことは表裏一体、

良いものも人によっては悪くなるし

悪いものも人によっては良くなるのです。

 

六本木かどっかの高級レストランとか連れて行かれたら、

「えー、なんでこんな堅苦しいところに!それよりも、静岡の川でピクニックしようよ!!!」

「でもデートの雑誌にそうした方がいいって喜ぶって書いてあるから連れてきてやったのに・・・!」

 

ってなってケンカになるわけなのです。

 

全員に好かれようとすることは無理だから

 

自分が持っているものは、素敵なものだ!!!と思う方がいいですよね。

その方が生きやすいですよね。

 

 

しかも、自分のことを良いと言ってくれる相手からみれば、自分は素敵な人!!と、認めてくれた方が嬉しいのです。

 

なぜなら、

私なんて・・・

と思っているその部分こそが、その人にとっては、好きな部分だからです。

 

 

良いと言ってくれる人に対して、自分の持っているものを「いやいやこんなもの」と思うこと、言うことは、一般的には、良いこと、美徳と言われていますよね。

でもそれって実はすごい、失礼なことだったのです。

衝撃の雑な言葉を言われたとある日のこと・・・・

そうなのだと気付いたのは、

私が学生のころ・・・ハンググライダーの師匠とのやりとりでした。

 

 

ハンググライダーの師匠(インストラクターさん)に、

「千聖も良い飛び方するようになったなあ」

 

と言われたことがありました。

 

その時に私は

 

「いやいや、私なんてまだまだですので」

 

と常套句を言いました。

 

 

そうしたら師匠はこう言ったのです。

 

「なんやお前、それは謙遜とちゃうぞ。奢りやぞ。俺が良いって言ってるから良いんや」

 

ちょっと言葉が雑な人なのですけど

 

そのとき、はっとしたのです。

 

 

褒められたこと

良いと言ってもらえたこと

 

それをいやいやいや私なんてと思うことは

 

褒めてくれた、良いと言ってくれた相手への否定なのだと。

それってすごく、相手も傷付けるかもしれない失礼なだったのだと。

 

いつまでも恋人に「私のことほんとに好きなの?」と言って疑っていたら、そんなに信頼されてないのかと百年の恋も冷めますよね。

だからむしろ本当に良いと思ってくれた素敵な人までいなくなったり。

あの人が否定している部分が私好きなのに・・・そう言う私が一緒にいるのは迷惑かも・・・と思われてしまう可能性があります。

 

そして、良くない人というのは、何を言っても何を思っても無頓着で寄ってくるので、良くない人しかまわりに残らない・・・・

 

悪循環ですね。

 

 

そうは言っても、私も今でも、竹川さんにも、こんな私なんてと話を聞いてもらうこともありますし、こんな自分もーーー嫌い!!!という感情に落ちることもあります。

 

 

でも、良いと思ってくれる人がいる。

 

 

それを受け止めることが、

全てのはじまりなのかもしれないとも思ったのです。

日本の本当の謙遜の在り方とは?

謙遜は日本の美徳です。

だからいえいえ、と言うのも全然いいと思います。どんな時も奢らず、謙虚であること、それは本当に美しい心です。

 

でも、言いながら心の中では

 

良いと言ってくれる人もいること。

良いと言ってもらった自分を受け止めること。

 

言ってくれた相手を、

そして言われた自分を、信じる。

 

そこが大事なのかなって思います。

その気持ちは、いえいえ、と言っていても、必ず相手に伝わります。

むしろそれが本当の謙遜、謙虚さの在り方かもしれないとも思ったのです。

 

過去から「都の人」という矜持をもつ京都の人は、日本人の古来からの気質を持っている人が多いのですが、「そんなことないんです」と言いつつ、めちゃくちゃ喜んでいるのが伝わります。

ぶぶ漬けくらい分かりやすいです(注:ぶぶ漬けを出す、というのは、「お帰りください」という意味)。

 

そこがいいんです。

相手の存在も尊重しながら、自分も尊重し、感じるがままに、感じ、伝えることを伝えるのです。

そこから見ても、いやいやいや、と言いつつ内心はちゃんと喜ぶのが謙遜の在り方なのかなって。

 

さらにその心理状態は、書く言葉としても、表れます。

だからブログにも反映されます。

 

そしてブログとは、

自分のことを良いと言ってくれる人に向けて心をこめて書くもの。

 

そんな気持ちで向けられた言葉は読者さんとしては、すごく嬉しいものだから、共感になり、アクセスになり、収益にもなっていくのです。

 

ついついかっこつけたくなったり

完璧なものを出さないといけないと思ってしまいがちですが、良いと言ってもらったものを受け止めて、少しずつ、こっそりでもいいんです。

 

相手を信じて、書いていってくださいね。

 

 

そうやって進んでいったら、自分の本当のやりたいことを見つけて、それをブログで活かしていける道を叶えることができるようになりますよ。

 

お読みいただきまして、ありがとうございました。

 

 

追伸

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