ごめんなさい、これが正直な今の私の気持ちです。

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インターネットビジネスは、相手の為にという気持ちが無ければ、出来ないと、先生はいつもおっしゃっています。

ボランティアよりもお金を頂くので、ボランティア以上の価値の提供をすべきとの、先生の教えです。エゴでは稼げないというのです。

稼ぎたいと言う気持ちがなくなったときに、稼げるのだと。

 

だからこそ、読者さんへの文章は、大切な人へのラブレターだと、先生はいつも言ってくださっています。

読者さんにラブレターの記事はこちら

(ちなみに↑の記事は、先生の言葉をそのままお伝えしたものでした)

 

ラブレターだから、誰もかれもというわけではないのですが・・・・。

 

 

私もインターネットビジネスを始めてから、今までずっとその先生の言葉を考えてきました。

先生みたいに、どうやったら無償の愛みたいな気持ちになれるんだろうってずっと考えていました。

どういう気持ちになれば、どんな私で在れば、そんなふうになれるんだろう、エゴじゃなく誰かの為であれるんだろうってずっとずっと。

 

考えたり悩んだりしながら、毎日ブログを書き続けていたら、サポートさせて頂くことも出てきました。お客さんとメールのやりとりを始めて、最初は怖かったのですが、でも思っているのと違って、とても楽しかったです。

だから、ラブレターの意味も、なんとなく分かる気がしました。

 

でも、答えは出ませんでした。

やっぱりしっくりきませんでした。

 

私は本当に大好きな人にも、見返りを求めます。

好きになってもらえたらいいなとか、友達になってくれたらいいなとか。先生にすら、嫌われたくないとか、良い子だと思ってほしいとか。

 

だから、エゴじゃないものなんて、私の中に存在しないんだなって思いました。

 

そこまで思って、あ、やっぱり自分には無理なのかもしれないって思いました。

だから私には出来ないんじゃないかって何度も何度も落ち込んで、そのたびに先生が掬いあげてくださったり、読者さんやお客さんの存在に励まされたり。私の方がもらっている。

私はもらわないと生きていけないのかと思いました。

 

生きていけない。どうしようもない。

どうしようもない人間がどうしたらいい、名前に聖が入っているのに千も聖になるどころか一つも聖にだって為れない。

どうしたらいい、どうすれば、やっぱり無理ということなの、私は、こんなにどうしようもないのに。

 

 

いつものごとく落ち込みまくって、また先生に励ましてもらうことを繰り返しました。

 

そんな私が最近ぼんやり出した答えが、エゴでもなんでもいいんじゃないかな、でした。

開き直ったみたいです。

 

それが、私の今の正直な気持ちでした。

エゴであっても、それが相手の為になるのであれば、それでいいんじゃないかなって思ったんです。

ストーカーはダメだけど、両想いなら好きでいて欲しいって思いながら付き合えばいいんじゃないかなって。

 

相手のためでありたいという願いも、エゴじゃないなんて言えないと思います。

だってそうでありたいと思うのは、自分の願望です。好きでいて欲しいのは、私の気持ち。
ストーカーみたいに、押し付けたり、洗脳して振り向かせたりしたら、本当にただのエゴでしかないですが、見返りを求めたいという心はなくならなくてもいいんじゃないかなって。

 

 

 

例え大切な家族のためであっても。
「あなたが幸せならば、私は幸せ」

それが私の母の口癖でした。

私の母は、見返りを求めることなく、ずっと生きてきました。

 

その結果、母は壊れてしまいました。
悪い宗教に救いを求めてしまいました。
その原因の一端は、もちろん私にもあります。
私は、母の気持ちをないがしろにして、大学生活のあらゆるものを選択し、そして最後は、自分の幸せのためだけに、都心に出てきました。

 

その結果母は、今まで母が大事にしていたものを全部憎んで、捨てて、バラバラにして、出ていきました。父と母は、酷い形で離婚しました。

 

ああしておけばよかった
こうしておけばよかった
沢山後悔しました。
でも、後悔した後に、私は自分に言い訳をしました。

どうして「あなたが幸せならば、私は幸せ」なんていったんだろう、

嘘だ、うそつきだ、そんなうそ 言うくらいならばって逆恨みしました。

母のことは私のせいじゃないって、自分を正当化したかったんです。
でも、「あなたが幸せならば、私は幸せ」そんな母の言葉も気持ちも、本心だったんじゃないかと、思いました。

 

本心だったけど、今までためてしまった抱えてしまったつらさや悲しみがいっぱいになって、反転してしまっただけだったんだと。

最近ようやく、遅いけれど、気付きました。
人間いつもいつも強く在れない
子どもの頃には、神様みたいに絶対的存在だったけれど、母だって人間でした。
だから、見返りなしで生きられないことだって、在ると思います。
でも、それでもいいんじゃないかなと思いました。
誰かの為でありたいだって、
自分の為でありたいだって、

どっちもあっていいと思います。
それをいつもいつも押し付けるだけだったら、自分勝手になるけれど

でも、そんな気持ち、私は失くさなくていいと思います。

 

失くせたらって思うけれど、なくして押し殺して、大事な物まで壊してしまうくらいならば。
だから誰かのためで在ろうとしながら、時々はこんなに頑張ってるのにって思ってもいいんじゃないかって思います。
私が今書いているブログだって、本当はエゴです。
私が小説家になりたいと思った理由は、小野不由美さんの「十二国記」が私の考え方や人生を変えてくれたみたいに、私の文章が誰かの人生を変えられたら、誰かの考え方を変えられる一端になったらいいなって思ったんです。だから目指しました。だから書き続けました。

 

形はちょっと変わりましたが、それを今も継続中です。

 

偽善だと言われても仕方がないです。
誰かの為と言いながら自分の為です。

 

でもボランティアは出来そうにないです。少なくとも今の私には、続けられないです。

続けられたとしても、
魔法少女のなれの果て魔女になります。誰かの為を想った分だけ、希望の分だけ、見返りを求め続ける呪いになります。
私も先生のように、かつての母のように誰かの為でありたい。
でも、それは、途中でどうにもならなくなるまで、追いつめるんじゃなくてずっとその道を選択し続ける方法でありたいです。

 

私は弱くてどうしようもない人間で、ほんとダメ人間です。

だから、私は、時々落ち込んだり、もう無理だって思いながらやっていこうって思います。

 

それでも、先生や仲間や、大切な人、お客さんや読者さんがいてくださるから。
だから、私は誰かの為で在りたいんだと、今日も思えます。

いつもいつも、お読みいただき、ありがとうございます。

 

結局正当化な話でした。
書き殴りで、お見苦しくてすみません。








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